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戦後わずか十数年でこんなにグレードの高い列車(人的サービスを含め)が運行されてたことに今更ながら関心させられます
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。この映画の公開後、あともう少しすると航空機が台頭してきます。終戦後、世界に追いつこうとして、思いっきり背伸びしたのが鉄道でした。こだま号開発にあたって、当時の国鉄関係者は米仏へ何度も渡航した記録が残っています。そうして就役した電車の技術もサービスも、新幹線に結実されているようです。
これは海外のホテルで偶然出会ったイラク人の鉄道エンジニア(日本企業で研修済なので日本語も話せる)も同じことを言ってました。戦争で焼け野原になって十数年でこれだけの電車を走らせるなんて、まるで魔法だと。日本人はこれを誇るべきだと。イラクにShinkansenを走らせるのが俺の夢だと言ってたけど、元気してるだろうかと、この動画を見て思い出しました。
便利になればなるほど人の生き方にゆとりが亡くなるって皮肉なもんだよね
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。便利さとゆとりが並び立つ世の中というのは適うようで適わないものです。大抵どちらかに差異が生まれます。社会の縮図と言われる列車内や駅構内にはそれが見て取れて、映画はその場面を残して伝えてくれます。良いところは大切にしたいものです。
ゆとりがある時代は犯罪も多かったんだよなー
パソコンやスマホなんて無い時代の方が良かった
@@こどおじ46歳それはないと思う…
この時代は、乗員乗客共にコミュニケーションが充実していた。コンプライアンスがシビアな現代社会からすれば、おおらかな時代だったと思える。
いつもご視聴いただききましてありがとうございます。自分で声かけて、目で見て,という一番確実な方法に頼っていた最後の時代ですが、人間のやることなので、今に振り返って一長一短なのかもしれません。
個室、サロンカーは親と京都観光に行く時乗せて貰った、今でも鮮明に記憶してます、あんな贅沢な鉄道旅行は今は出来ません。
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。最近はクルーズ専用の列車が就役して、とても高額な価格で、指定券も取りにくい存在になっていますが、どれも臨時列車です。この映画作品の当時は、定期列車でサロンカーや食堂などがあったわけですから、贅沢と言って間違いないですね。
@@qsht RUclipsrが贅沢旅行をアップしてるせいで、なかなか切符がとれず本当迷惑。しかも外人も押し寄せて、よけいに取りにくいわ!
151系…やはり車格が違う‥クロ151(パーラーカー)をはじめ一等車や食堂車、ビュッフェなどを連結した凄い列車‥本当の意味での特別急行列車だった‥それに151系は日本の電車史上もっとも美しく典雅な作品である事は言うまでまない‥
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。デビウした時代の鉄道で達成できるほぼすべてのサーヴィスを詰め込んだ宝箱のような列車でしたね。
@@qsht サーヰ゛スとも書きますね。白服のボイがうやうやしく一礼をし「サーヰ゛スでございます」と。
みんな必死で生きてたと思う。戦後復興、経済成長、海外進出を支えた先人達に心からの敬意を!
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。この作品に登場する「こだま」号は、就役まで、アメリカやヨーロッパの優等列車のサーヴィスを参考にして、それに劣らないレべルを目指して開業しました。復興の槌音の中を、決して劣ったものにしたくなかったのだと思います。同様の社説が、この時代の新聞にも見られます。背伸びして し過ぎることのなかった時代です。
あったかいドラマありがとうございます。往年の名優さまたちがいかに素晴らしかったか味わい深く見てます。
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。昭和戦後の映画作品は、役者さんや台本と言っても、言葉遣いも、身の振り方も、シーンに関係なくまろやかで品があったように感じます。監督さんの指揮と俳優さんたちの経験値が今の時代で見ても遜色のない作品に仕上げてくれたのだと思います。
まさに『古き良き時代』の一言ですね。私は元鉄道乗務員ですがこんな楽しそうに仕事ができた時代に働いてみたかったぁ!
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。乗務される側に居られた方がご覧になっても、そう感じられるのなら、鉄道職場にとって良い時代だったのかもしれません。この作品に観る ふれあいや人間関係は、途上国の鉄道を利用すると いまなお存在しています。
これDVDになってます。一見の価値ありです。但しこのシーン以外殆ど作りものでの撮影だそうで、それは良くできていて驚きです。特急が特別な急行だった良き時代ですね。
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。東宝はこの時代並行してゴジラなどの高度な特撮をこなしていましたから、特に151系編成模型のサイドビュー走行シーンや夜間の室内灯撮影などは、パースペクティブを絶妙に効かせて、山や踏切を背景に上手に撮られています。モノクロだったからできた粗を消せる特撮だったからかもしれません。
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。このころ東宝はゴジラで特撮技術を研鑽していたのでお家芸と言えるテクをあちこちで用いています。山影や琵琶湖を背景に151系の走行シーンを映す場面では車体の山側は色を塗っていなかったそうです(キネ旬)。
東京 大阪が6時間30分でも早い時代。良き時代です。
18切符で移動すると、いろいろなありがたみを感じます😅
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。どなたかがコメントされていましたが、電気機関車の牽く つばめ号でも7時間以上要したそうですから、当時としては早かったのだと思います。
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。特急の目的は途中に用が無い人向けですが、18きっぷは途中に用がある人に価値のある切符に変わります。景色見たり、のんびりしたり、知らない人と仲良しになったり、発売当初は「のびのび」という言葉が入っていたのもわかります。
東京~大阪間6時間半は日帰りは出来ませんよね高成長期であくせくしてる筈ですがどこか安らぐ時代でしたね今は早くてもストレスは逆に溜まりますね
@@ドミニオンパワー さん、私も俄かに信じ難いのですが、日帰り需要というのは、本当にあったそうです。^^重要顧客に対して、社長・重役が直接訪問して挨拶するとか、役人の幹部クラスなどが重要な会合で訓令をする為とか。今もそうですが、直接お邪魔する、挨拶する、というのが重要な場合だと、「そんな1時間ちょっとの滞在の為にw」とは言えない事もあったそうです。
電車の運転を、2名でしているとは、今では、ありえません。沢山の食堂職員、アナログスピードメータ。今や遠い、懐かしい昭和の鉄道風景ですね。
車種は[電車]でも扱いは[列車]。正運転士と副運転士(助士)の2名乗務が当時は基本(SLが原則機関士&機関助士乗務の名残)。信号確認・警笛吹鳴・車両点検・時刻確認その他助士(副)の仕事は多岐にわたったのが当時。後年近代動力車(SL以外)を[列車]に於いても一人乗務化しようとして大きな労働争議になったのは昭和40年代。但し、通表閉塞(タブレット・スタフ)区間はこれの受け渡しの為2人乗務が継続。とアラカンオジン[鉄]がほざいてみるテスト
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。キャブ2名乗務は映画公開当時の国鉄の運転取扱基準規程の条文に明記されていましたので、規則通りの運用なのですが、これを順法闘争の手段の一つに使われてしまったことから、合理化の名の下に九州から徐々に廃止されていきました。公開当時すでに東武鉄道や名古屋鉄道などでは一人乗務がされており、最後まで残ったのは厳冬期の北海道内の夜行優等列車だったと報道(毎日新聞)されています。いまはどの国を見ても世界的に一人乗務になってしまいましたがとなりに一人いてくれると心強いですね。
貨物も最後尾に車掌車がついてましたね。
@@gaikaomiru 緩急車(車掌車)が連結されていない今の貨物列車は何だか格好悪い👎ですね。
助士とはいうけど免許もってるんですよね?
車両、各々のセクション乗務員、みな誇りと華を感じます。
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。この映画の時代は、みんながむしゃらに働いて稼いでいた時代でそうするうちに、自然と自分の持ち場に甲斐性を見出せた,そんな世の中だったのですね。
川島雄三監督作品ですね。人間性の描写が繊細で現代的ですね。
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。川島監督は戦後東宝のホープと目された方で、特撮まで動員してこの作品を完成させています。慣れない方がまとめると、特撮と実写のギャップが激しいのですが、上手にまとめて埋めているあたりは 観客に違和感を抱かせません。長く見続けなくても、ちょっと観ただけで、登場人物の上下や交友関係が簡単に分かるようにまとめるところは流石です。
戦後10年足らずで…日本人すげー
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。おもに、ヨーロッパの国の鉄道サーヴィスを参考にしたと、当時の国鉄広報誌には書かれています。真似でも何でもいいから、取り戻して追いつきたかったのだと思います。このサーヴィスは新幹線に洗練を重ねて受け継がれていきます。
日本が元気になる少し前の映像でしょう。昭和の昔の人たちは、元気で生きることに諦めてはいなかったと思います。声が大きくて、よく笑う印象です。昔は良かったと言いたくないですが、昭和の日本は良かった!楽しく拝見致しました。
1961年の映画ですから高度経済成長期真っ只中、一番元気な時代でしょう。この僅か三年後には新幹線が開業しますのでこの新型特急こだまも主役の座を降りていますね。
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。感覚が鈍かったのではなく、おおらかだったのは間違いありません。騒ぎ立てなくてもよさそうなことは、心に秘めて 笑顔で覆っていたいた美徳なのかもしれません。もう、映画の中でしか戻れない時代です。
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。とりわけ、東海道筋の特急列車は、開業が迫る新幹線の実験的役割を果たしていた時代でした。技術だけでなく、サービスの在り方も、この列車で実験して、優れたものを新幹線で咲かせました。食堂車とビュッフェがそれぞれ1両ずつ連結されていたのもその一つだと思います。
中1の時友達と初めて秋田から上野行きのいなほ号の食堂車でスパゲティミートソースを食べたのを思い出しました子供ながら日本海を見ながら食事ができるなんて贅沢だなと思いましたいつも懐かしい動画ありがとうございます
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。とても素敵な思い出をお持ちですね。食堂車の食事は、景色も料金の内と言われています。速いのも嬉しいですが、思い出は少ないかもしれません。むかしの楽しい出来事は貴重です。どうぞ大切になさってください。
いなほ号の食堂車、私も子供の時利用したことがありあます!私は鶴岡からの乗車でした。なつかしい。
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。羽越線は海側のテーブルで食事をすると、得した気がしたものです。夜も水平線まで星空が広がって、ほんとうに流れ星のような思い出ですね。
私も今でも凄い思い出です。^^やはり、いなほ号に「ミートソーススパゲティ」ありましたよね?^^青函連絡船でも食べたのですが、どちらかが「駿台予備校食堂」にあった味と、非常に良く似ていたんですよねw^^
@@skaku3835 さん「駿台予備校食堂」と似た味・・は面白い話。私は子供だった時なので「お子様ランチ」を食べたと記憶しています。ミートソーススパゲティ」はあったと思いますよ。
この時代が1番自由
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。規則や決まりの多くは、後からついてくるといわれます。それだけ先端を行けば行くほど、自由に進めるというわけです。慣習にも後押しされて、ほんとうに自由な時代でした。
151系使用のこだまは東京から大阪までを走行、ビジネスマンにも親しまれた存在でしたね。by酒向正也
いつもご視聴ありがとうございます。当時のパーラーカーの指定席特急料金を現在の市価に換算するとグランクラスよりも上回ります。ビジネスマンでも上場企業の管理職や、町工場の社長さんが支払って満足する金額ですから2等車あたりが人気車種だったようです。
車内サービスのためのスタッフが多いのに驚きます。いつの間にか食堂車どころか駅弁の車内販売も無くなったな。
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。食堂車は仕方ないのかもしれませんが、駅弁の車内売りはもっとあって欲しいものです。東海道山陽新幹線に乗りますと、ワゴンに積んでいる場合もありますが、お昼時はあっという間に売り切れてしまいます。売れ残しても困るものなので、全盛期は眠っているお客を起こしてまで売りに来た時代もありましたが、残念な話です。
昔はお客さんへのサービスのために人数がおりましたが、今は儲けのために人数削減、機械化、つまらない世の中です。食堂車もあればいいのに。スーパーでさえ万引き覚悟のセルフレジで、客に何でもやらせながら値段下げない。😱
毎度ご視聴ありがとうございます。セルフレジで便利なことは、11円の品物に1万円札で支払うと9989円のお釣りが来て両替できることぐらいです。店員に嫌な顔されないで済みます。それだけ。嫌なことがあったら、力強い歌を聴いて歌って、吹き飛ばしましょう。わたしどものチャンネルが FC2 にもありますので、 どうぞおたずねください。トレードマークは、赤丸に鳥です。お歌メインですが、ruclips.net/video/gFOkJ5vLOl8/видео.htmlこちら↑のコメント欄に連絡通路があり、そこから渡れます。軍歌や讃美歌なんだけど、歌詞とは全く異なる背景動画やRUclipsでは到底公開できないような作品をお楽しみいただけるはずです。😋
@@qsht さん駅弁は売れ残り廃棄のコストが馬鹿にならないそうです。終点まであと30分だから半額!とかも出来ないですしね。都会はエキナカ、全国的にコンビニが充実してしまい、食堂車、車内販売に次いで、ホームの売店まで無くなってきました・・・。
駅を優先にし過ぎる
わー懐かしい こだま号 パーラーカーは憧れの的でした。座席に電話もあったんです。
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。いちばん大阪寄り先頭の車両はサロンで、呼ぶと掛の女の子が電話を持ってきてくれたそうです。
好きな151系が主役?のようで目が離せず見ていました。出区のシーンで右側にいる眩い新車の101系も見逃せない👮
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。いまもなお、ファンが絶えない151系電車が、一編成まるごとそのまま復活したら、みんな撮って乗って大変なことになるかもしれません。技術的には難しいことではないと思います。夢のお話ですね。
@@qsht全車指定にしクロ151はグランクラスにしましょう(笑)
毎度ご視聴いただきましてありがとうございます。 もうすこし窓が大きなグランクラスだと楽しいかもしれませんが、トンネルの多さには閉口。
「国鉄」好き のオールドファンです。貴重な映像、ありがとうございます。
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。他の方からもコメントがございますが、わたしたちは、どうして「国鉄」がいつまでも好きなのでしょう?そう考えて、若い方(テレホンカードも知らないような年代の方々)にも知っていただこうとして名場面を切り取って流しています。オールドファンの方には、夢枕に再生してみてください。
@@qsht さんご返信ありがとうございます。私の頭の中では今も20系客車や181系電車、80系気動車が現役で走っております(笑)
本物の151系を実際に使用して、フランキー堺さん等俳優人を起用した映画があった事に驚いた…1960年代は色々な俳優さんと国鉄の現役車両を使った映画を多数作製し、放映してた事にも初めて見て、当時の様子が間近に見えて感動した。
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。1960年代は、高速道路が未発達な最後の時代でしたから、陸上輸送の花は鉄道でした。そんななかで、豪華で速い特急電車が走りだしたわけですから、映画の題材にも容易に引かれたのだと思います。新進気鋭の俳優さんや新型車両の組み合わせを、劇場公開映画にしたものですからたくさんの観客を動員することができた、夢のような時代作品です。もう少しで廉価なカラーフィルム時代が到来した、そんなころの映画ですね。
発車とともにかかる音楽が素晴らしいね
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。上映当初は大したことのないBGMと思われているような曲でも、作品と共に残っていると、どうしたことか絶妙にマッチするのが映画音楽の不思議なところです。
このこだまから発せられるオーラは今の新幹線や特急列車とは比べ物にならないぐらいすごいですね…まさに特別な急行という感じです…
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。「外国から来たお客さんが乗っても遜色のない車輛」をめざしたのではなく、「外国から来たお客さんでも驚く車輛」を目論んだそうです(当時の朝日新聞の記事)。定期列車で。当時は四季島・ななつ星・瑞風を定期列車にするくらいのコンセプトだったようです。
映画作品ですので事実と異なる(女性職員の乗務)場面もあろうかと思います。しかし、食堂車で働く方々が多く乗務され(出発シーンでの並び)、鉄路に華がありました。良き国鉄時代を拝見させて頂き、ありがとうございました。
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。劇場公開映画ですので、集客のための脚色はあたりまえなのですが、現実とかけ離れ過ぎていても観るほうは興覚めしてしまうものです。東宝はありそうでない、なさそうで実はある,というシナリオを上手に事実と混ぜ込んで制作しています。さすがに映画会社です。
今の効率的な時代が人間社会として正しい姿なのか?なんだか涙が出てくるね。
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。その時代の誰もが違和感を抱かないことが正しさの中にあるものだと思いますので、違和感を抱きながらも言い出せる人が出てこないで、流れ着いたのが今の世の中なのかもしれません。効率的だけど、どこか歪んでると思いつつ、悔しいですけど鉄道でも。
東京、大阪、いまはのぞみで2時間半。でもこの当時の在来線で6時間半も相当頑張っていた。
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。そうですね、狭軌で、在来線の線形では、この速度と時間が頂点だったのかもしれませんね。2時間半は、やはりあらためて早いですね。
0:28 にノブがでてきた。声もノブ。
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。森川さんはどうしても寅さんのイメージが先に浮かんでしまうのですが、キャラ振りそのものは、全然変わっていないんで、すぐにわかります。夭折された惜しい方でした。
当時の『こだま』には乳幼時期で乗った記憶がないです。でも,乗車して,食堂車でご飯食べて,お休みしながら旅してみたかったです。 今は,お弁当食べて,チラッと携帯見てる間に、新大阪に着いてしまって、便利だけどつまらなくもある時代になりました。
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。この、こだま号が走り出した時代は、いまに比べると世の中がのんびりしていた時代でしたから、’’颯爽とした’’存在だったわけですが、時間尺は残酷で、休みながら進む楽しみをどこかへ隠してしまいました。便利が必ずしも楽しいというわけではありませんね。
たぶん、私も同年代で乗ったことが無いです。長距離の家族旅行もありませんでした。本当、駅弁食べてコーヒー飲んでアイスクリーム食べて携帯でニュース見てると、もう大阪で味わいが無いです。ビジネスマンならいいんでしょうが観光だと列車の旅を楽しみたいですね。
幼い頃 こだま 乗りました🚄
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。新幹線ではなくて、この151系電車でしたらとても貴重な思い出ですね。
@@qsht2397 返信メールありがとうございます🙇♀️ 昭和48年か49年頃 新潟県上越市 直江津に住んでいましたが、父親の仕事の関係で 長野県 諏訪郡 下諏訪町に転校(当時小学3年生)した時 移動で乗車した記憶が有ります。(間違っていたらすみません💦)
詳しいご解説ありがとうございます、このころは横浜を出ると名古屋まで無停車でしたから現代よりも過酷ですよね、新幹線が開業する前の東海道線はまさにベルエポックでしたね😀
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。この時代のこだま号は、走行中に運転士さんが交代(田町←→大垣)するという離れ技をやっていました!そうしないとトイレが大変ですからね。一説には安倍川の鉄橋通過中にで交代してたとか。助手席との交代ではなく、客室内から運転台に入っての交代。★コメントレスポンスの下の返信を使うと、同じスレッドの中に書き込むことができますので、こんどお試しになってください。
151系!!この頃からオルゴールが装備してたでしょうか?電車なら定番の鉄道唱歌でしたね!!3:18
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。オルゴールは私鉄も含めると戦前の客車にも装備されていたようなのですが、この151系のそれは 五打点グロッケンのオープンリール再生を使っているようです。よくデパートで「お呼び出し前後鈴」のあれの録音再生です。この時代すでに新幹線の建設が始まっており、いろんな車内放送を含めた実験をこの特急でおこなっていたと言われています。民営化前までの東海道新幹線の放送前鈴は、たしかにこの音叉の四打点(ドミソド)を用いていました。
@@qsht なるほど、ということは東海道新幹線開業時から採用され1968年以降に在来線も普及したのでしょうか?
毎度ご視聴いただきましてありがとうございます。国鉄のオルゴールの系統は、新幹線系統と在来線系統とが、発達系譜がものの見事に分かれていまして、新幹線から下がって在来線に用いられたものもありますが、在来線で使っていたものが新幹線に"そのまま"入った例はありません。普及というより、必要性から在来線にも伸びたというのがこれまでの流れだと思います。夜行列車で明け方、いきなり「みなさんおはようございます」と聞こえるより、オルゴールのほうが緩衝に使えるからなのでしょう。一説には「ディスカバージャパン(増収キャンペーン)」でオルゴールの車種分類が固まったと言われています。
@@qsht なるほど!!
特急列車が本当に特別な時代だったからこそ人的サービスも充実してたんでしょうね 今では新幹線パーサーでさえ2〜3名しか常務してませんから淋しい限りです
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。現在の交通の現場は(特に鉄道現場は)、鉄道員が少しでもいなくて済むような進化のしかたをしています。駅員はもとより、車掌も、リニアでは運転士までいなくていいようにしていますので、それが良いのか良くないのか、この映画の時代をつい、比べてしまいますね。
懐かしの東京駅15番線からの出発ですね、ここから151の特急と20系の寝台列車がゾロゾロ出発していましたね。東チタの出区のシーンで80系は東海道に新しいのが導入されるのは分かりますが101(かな?)は珍しいですね、カナリアでしょうから山手線に導入直前でしょうか。
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。東京駅は、すくなくとも昭和の頃は夕方の15時を回ったあたりから、楽しい長距離列車のオンパレードでしたね。101系は山手線用の編成です。田町駅返しと品川駅返しの運用では、田町電車区にいったん引き上げていた時代がありました。(但し、品川客車区の架線が張ってある一部群線だけに寄せて)公開当時のこの映画の映評にもこのあたりの事情が書いてあります。
特急にっぽん ですね白川由美さんのつばめガールがとても美しいです😻
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。女優さんは、カラーでもよく映えますが、白黒のコントラストだと、より美しく見えるのはいつも不思議に思っています。
まだ新幹線ホームが出来る前ですね。15番線の横に機回し線がありますね。
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。おっしゃるように"16番線=機回り"ですね。もう、東海道新幹線ホームの工事が始まっていますので、救援車代用控車が留めてあるところから東側はもともとこの場所にあった東京機関区の派出です。なので、この16番は映画撮影後まもなく廃止されて、付け替えは神田引上か11番を使うことになるわけです。
凄く貴重な映像ですねクロ151のヘッドライトに赤色フィルターが装着されているのが鮮明に確認出来ました0:55~からのシーンで右側に101系が居ますが、車体色が白っぽく見えるので山手線のカナリヤイエローかも知れませんねただ、同線に101系の配置が始まったのは1961年10月からなので映画の製作が1961年春ならオレンジの中央線かも知れません撮影は田町電車区でしょうけど、田町区に101系というのも珍しいと思います
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。この映画のスチールにはカラー版がありますが、それには黄色い車体で彩色が施されていますので、カナリヤで間違いないと思います。配置は書類上ではモハ90で始まっているそうなので(「電気車の科学」誌)、101系と見做した時、あり得ることだと思われます。この時代、高速度や性能試験のために田町電車区と大井工場、国分寺の間で車両の往来が頻繁にありましたのでその出待ちの写り込み(運転士さんは品川の構内運転士)と思われます。
昭和が懐かしい。
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。映画では匂いや香りを伝えることはできませんが、こだまの当時と今の鉄道では、芳醇さが異なるといいます。とくに食堂車やビュッフェの近くを通ると、美味しい香りがしていました。
運転士は二人だったんですね。社内サービスの可愛い子ちゃんもいるし。昭和の高度成長時代は良かったなあ。
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。"駅を通過するタイプ(準急とか急行とか特急とか)の長い距離を走る"列車の運転乗務員さんは、この映画の時代あたりでは、2人乗っていたようです。これは、蒸気機関車時代の名残でしたが、やがて一人になり、いまでは車掌さんもいないワンマン列車が多くなりましたね。
新幹線よりも豪華列車って感じだな
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。このころの国鉄広報は、日本国民向けもそうですが、いまで言うインバウンドの集客に力を入れていた時期で、内装も、技術も、サービスも、とりわけ欧米からの訪日外国人に満足してもらえる内容を目指していたそうです。
東京~大阪6時間半はだいたい今のサンライズと同じ位ですね。
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。そう言われるとそうですね。あんまり変わってないのは今はゆっくり走ってんのかな?
@@qsht さんサンライズは130㎞運転をしていますので、米原~沼津くらいまではかなり飛ばします。逆に、120㎞で同所要時間を走ったこだま号が凄いと思います。搭載しているモーター出力も1機当たりは半分です。
所要時間6時間って…。昔は大変な移動だったんですね💦いまは2時間ちょっと…。
当時としては革命的だったんだぜ。東京大阪が日帰りできたんだから。戦前の特急つばめが8時間。東海道本線が電化されてからEF58が引っ張ったつばめも7時間30分だったしな。だけど展望車は失われたです替わりにパーラカーはできたけど。ちなみにこだまは机のある車両があって学者や設計技師はそこで仕事をしたそうです。じいちゃんは学生だったけどそこで勉強したんだって。椅子でもできたのにね。
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。行った先の仕事も半日の のんびりした時代でしたが、このこだまには、食堂車とビュッフェが連結されていましたので、途中の停車時間が2分に満たなくて窓も開きませんが、楽しい旅を味わうことができたことでしょう。スマホいじらないで6時間過ごせた時代。
@@qshtシートにラジオがついていたそうです。なので情報収集もできたし退屈しなかったのかもしれません。
毎度ご視聴ありがとうございます。「はと」の営業列車でお客相手にTV受像実験が行われた記録(結果失敗)もあります。
1959年、昭和34年は高度経済成長のずっと前です。大都市の幹線道路でも車はまだ少なく信号などなくても人が横断できるような状況でした。東海道を6時間半で大阪まで走る「こだま」は、今思えば速度や乗り心地は現在東海道線を走る在来線よりやや劣るくらいの列車でしたが、皆が憧れるスター的存在でした。鉄道の主役は蒸気機関車の時代でしたからね。
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。おっしゃる通りですね。道路信号も横断歩道それ自体も、ほんとうに少ない時代でした。ホームも白線だけ、発車ベルも電鈴だけでしたが、東京~大阪の所要時間が、いろいろな物差しとして用いられ始めた時代でもありました。
三国連太郎主演の「大いなる旅路」のラスト。定年を迎え夫婦で息子(高倉健)が運転するこの「こだま」に乗り、娘に会いに行くシーンがありました。
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。“旅路"は戦前から戦後までの時間軸を長く取った東宝の名作ですね。151系の運転台から眺める六郷川橋梁渡河のシーンは、これも貴重なものです。
特急こだま、東京~大阪行き所要時間6時間ですが約60年後の令和5年は新幹線のぞみで東京から新大阪間2時間30分と結構早すぎます。ただ北海道新幹線の札幌駅が開通したら東京までは5時間と新幹線のぞみの東京~新大阪間2時間30分と2倍の所要時間になります。岡田憲哲。
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。東京駅で新幹線の線路がつながらない不思議が解消されたら、さすがに新幹線でも札幌~鹿児島中央間は寝台車の再来になるかもしれません。
今の女性とは違う品のある発声。そして喋り方。
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。戦後から10年そこそこしか経過していない時代の映画作品には、本作も含めて、シナリオやアフレコの中に、たくさんの大和言葉が散りばめられています。特にご婦人方のことばには撫子(なでしこ)調と呼ばれる、本来、日本の淑女が持ち合わせている自然な言葉を聞き取ることができます。わたしどもの独自サーバー配信 で公開している軍歌集に「大日本の歌」という歌謡がありますが、この歌詞で使われているような言の葉が、戦後に廃れる前の言い回しです。こちらのリンク先から渡ることができます。→ruclips.net/video/gFOkJ5vLOl8/видео.html
2:08 大いなる驀進に登場したぽっちゃり系な政治家(上田なんとか郎さん)を送る様な盛大さですね(笑)
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。西本願寺が撮影協力した映画ですので、門徒団体でエキストラを埋めています。2等車との客層の差異が話題になった映画です。
この時代は乗務員さんも沢山乗っていましたね!つばめガール4人?食堂車乗務員が5~7人でしたっけ?車掌も4人くらい乗っていたのかな?食堂車乗務員と車掌等の乗務員さんは、昭和末期頃の鉄道ジャーナルなどを見ると、乗車レポで出てきますが、びっくりするほどのサポート体制でしたね。まさに特別急行、でしたね!^^
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。つばめはわかりませんが、この、こだまについては、日本食堂社員15名添乗(キネマ旬報の記事より)と定められていたようで、これが、通しの15名なのか、かわるがわるの15名なのかは定かではありません。国鉄の乗務員は9名で、2名乗務の運転士は安倍川の鉄橋の上で走りながら交代した人数を入れて、それに警乗の公安職員も含めれば、だいたいそんな人数です。
令和はこう言う働く人も楽しそう笑笑 って言う日本になれ。
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。古い作品ですが、勤労の姿が他者から見ても美しく見える時代は、いつの世にもこの国に続いていてほしいものです。
今みたいに人員削減、何でも自動化じゃなくてたくさんの人が働く場があって良い時代でしたよね😉昭和は良かった😊
@@ANIYAN223 そもそも人が減ってるからしゃーなし
ただ、昔は「皆に愛想良く」「先輩・目上の人のご機嫌を取る(気を遣う)」「辛くても頑張る」というのも重要な社会人の心得でした。その為に「先輩の酒の席には付き合う」「上司先輩が帰るまで中座(早退)しない」「少しくらい具合が悪くても休まない」という制約も多かったです。
車社会になれば先輩の酒の席なんてなくなるよ。
当時は在来線で大阪まで行ってたんだな、そしてこの9年後に新幹線が誕生し0系がデビューそして時が流れ100系と300系そして500系に700系とそしてN700系でそして令和に入って現在活躍しているN700S系と来てそして時速 100km 160km 210km 270km 285kmとスピードも速くなりそして今検証中で近い将来実現するかもしれない360kmと進化し続ける
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。以前新聞記事に出ていたのですが、鉄道(レールの上を進む乗り物)には速さの限界があって、人を乗せた場合は700km/hが限界なようです。人を乗せてない場合(例えばミサイルとか砲弾とか)はマッハ1.5は出せるそうです。
凄い!この時代ですでに食堂車のクルーがホームに向かってお辞儀している。あと座席特急で全座席指定も存在していたんだな。
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。車内営業は国鉄とは異なった日本食堂などの業者さんが仕切るテリトリーなのですが、とくに、始発駅では戦前(例えばつばめ号とか)から発着ホームに向かって従業員整列して一蔽(発着ホームに向けて整列し上半身を折っておじぎ)しなければならない,という内規がありました。ブルトレブームあたりの時代では入線時を省略し、発車時にホーム駅長事務室を過ぎるあたりまで一蔽というかたちに変わったようです。これは新幹線食堂車(2階建てを除く)でも同じでした。座席特急の全座席指定は、すでに戦前にも存在していて、私鉄では近鉄や東武などで記録があります。この「こだま」号は、その基本を一通り踏襲していた列車でした。
一馬大西さん。特急は戦前の特別急行時代から指定席が前提なので、料金設定も指定席が前提。自由席はそこからお値引き。今でも例外なのは「自由席特急券」「特定特急券」なんですね。自由席はずっと後から出来ました。急行は自由席が前提なので、料金設定も自由席が前提。指定席はそこから加算。「急行券・指定券」になるんだそうです。
1972年10月まで特急は指定席のみで、その後自由席を設けてL特急が登場しました。自由席のない白鳥などはL特急でなく、ただの特急でした。
今で言えば「ななつ星」や「四季島」みたいな列車かな?。見るからに、本当の特別急行列車「こだま」ですね。
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。そうですね、さすがに「ななつ星」や「四季島/瑞風」は豪華の極致ですから、そのまま比べることはできませんが、ベースは「こだま」にも遡るところが多いと言えますね。当時は、いまわたしたちが ななつ星… を迎えた時のような驚きが、お客さんにあったのだろうと思います。異なるのは、それが定期列車だったことです。
なんてこった懐かしすぎるああぁぁー良い時代じゃね〜かただ6時間ってやばいいま最長時間で寝台除くと5時間無いぐらいじゃね?大阪東京を往復でもうグッタリだよな
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。スマホもない時代に、時間つぶしは、新聞・雑誌・食堂車・ビュッフェ・車内販売・車窓の景色・見知らぬ人との会話たいへんだけど、楽しかったのはなぜなのでしょう?
今や新幹線でもお弁当の匂いがきつい物や大阪土産の551肉まんなどは敬遠されるぐらい車内の狭い空間に押し込められるこの30年代はまさにみんなが夢と希望で活気のある時期だったと思います
この作品と渥美清主演映画の喜劇急行列車、見比べて観るのも良いかも。
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。鉄道や列車や駅を舞台にしたシリーズ物はロケの運用のしかたで同じところと異なるところが見えてきます。東宝、松竹、東映ともに同じ時代の中で似たような展開であっても、実存する列車を舞台に撮影していますので、後年になって資料的な価値も見えてくるのだと思います。
当時の特急に乗車できる人は限られた方々だったんでしょうね
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。きっぷ(指定券)の取り方は今と同じ窓口なのですが、法人売りしていた時期が長かったようで、重役さん向けに占め買いされていたと言われています。けれども、いちばんリッチなチケットでも、運次第でお金さえあればGETできたみたいですよ。
車掌役の石田茂樹って眼鏡がトレードマークみたいなモンだったけど……其れにしてもフランキー堺と川島雄三は日活から東宝来て正解だったなぁ。
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。日活から大映行っちゃってガメラまで付き合って会社もろとも消えてしまった俳優さんもいるのに、ハンティングされた幸運をフルに売ったお二人ですね。
俺の親父が1歳の頃、このこだま号に両親と一緒に乗ったことがあるらしい…63年前も昔の話だけど笑笑
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。 いいですねぇ。そんな時代に生きていたご家族が身近にいらっしゃるのは素敵なことですね。
決めた!僕はコックになる!
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。食堂車出身のコックさんは意外と多いようです。みんな、降りて、ご自分の店をお持ちになるのでしょう。
頑張ってください
12時半出発で19時大阪到着かなり時間がかかったのだねもう一度食堂車を繋いで昼の超特急サンライズ瀬戸で高松へ繋げてみるのもいいかも
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。おっしゃるように、サンライズクラスの特急は、食堂車の連結が似合う列車ですね。もうちょっと運転区間を延ばすとか、日本海や瀬戸内海など眺めながら食事ができたらどんなに楽しいことでしょう。
客車のつばめなら8時間くらいかかってるから早くなってるよ。
@@qsht 個人的に車両を作り往復運行↔︎⇄ 料理人やその車両に入るお店を用意して調理を出すと面白いと思います料理人やお店が決まらない日はHIKAKINのカップラーメンを出すとか有名店舗の監修即席麺やレンチンのメニューを用意するなどをして賑やかで旅情を楽しめる鉄路が存在すると平日もより乗りたいと思えるのにね
@@tydeentetuota5514 いまの時代に8時間かかる列車は運転手や車掌だけではなく乗ってる人も長時間移動で疲れるものだと思います
この頃はトイレが垂れ流しだったから列車の下回りはとんでもなく臭かったけどな
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。こうした特急電車だけでなく、当時から「線路上は汚い」という印象がありますから、とりわけ保線さんは大変な仕事だったことだろうと思います。
そう、かつての列車トイレは垂れ流しで停車中は使用しないで下さいという注意書きもありました。走行中の揺れに勝てず停車中でも使用した方も中にはいたかも…。また沿線住民からも国鉄側に対し異臭がしてあとを絶たないと苦情も出ていたとか…。更に保線作業員からも臭いと闘いながら線路保守もしており、いろいろ悩ませていました。今ではもう考えていないことで黄害や異臭対策として列車トイレは床下に汚物タンクを設置して車庫や検車区で抜き取る方式に変わっている。by酒向正也
12:30発のこだま?この頃の第2こだまは14:30のはず。映画だから架空のダイヤか…2等車(今のグリーン車)のすみにビジネスデスクが備えてあった。まさにビジネス特急。いまは自分の席でノートPCを開いて仕事している。
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。ご指摘のように、この設定はこの映画が劇場公開された直後から映評され、「これは"ひびき"のスジではないか」とか、新聞でも話題になっています。後のキネマ旬報で種明かしがされて、12時30分東京発のスジは"9台(臨時列車)"で線引きされていたのは事実で、じっさいにはこのスジに列車が入れられた記録はないそうですだからあながち架空でもないのですが、本編をご覧になるとわかりますが、早朝に出区したにしては発車がお昼の設定ですから食堂車シーンを多く絡めるシナリオ上、お昼ご飯時の設定にしたのと、実在する列車スジで上映すると、映画に影響されたお客さんが実列車に集中してしまう混乱を避ける狙いもあったようです(同誌)。
2:05 ホームでのこの盛り上がり具合から推測して、この時代特急に乗って出かける事は今でいう海外旅行かそれ以上に特別な事だったかもしれないですね。
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。特急と言っても。汽車ではなく電車というところが時代的には魅力だったこともあると思います。大人たちが子どものようにはしゃいで待つのもわかる気がする背景ですね。
返信頂きありがとうございました。電車は今では当たり前ですが、まだこの時代にはあまり電化されておらず、珍しかったんですね。この年の3年後の1964年には「夢の超特急」と呼ばれた東海道新幹線も開業するため、その時の人々の興奮具合も相当なものだったと思います。
東海道全線電化は昭和31年だけど東京や大阪の近郊区間はもっと早くから電化されて短距離電車は走っていたでしょう。
サンロクトオ前特急で6〜9時間だこんちくしょう→現在快速、新快速で同じという
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。在来線に関しては、曲線や勾配、線路規格(とくに軌間)がそのままであるかぎり、何十年経過しても出せる速度の限界は変わりませんから、したがって所要時間もそれほど変わらないわけです。東海道本線が新幹線開通後に民営化されなかっただけでもよかったかもしれません。
鉄道で旅を楽しめることが少なくなった気がします😢
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。モノと人を目的地まで運ぶ使命,という役割を煮詰めていくと、旅ではなくて移動手段の機能だけになってしまうわけです。会話も、コンパートメントも、開かない窓もいろんな原因が作用しています。
パーラーカー導入直後ですね。こだまにも、つばめガール、はとガールみたいなアテンダントさんが乗車していたのか。
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。アテンダントの女の子が乗務している列車は、俗称で「○○ガール」と仇名されていた時代で、新幹線開業と同時にいなくなってしまいました。けれどもなぜか乗っていたのに「富士ガール」とか「ひびきガール」というのは定着しませんでしたね。
凄い、サシ151とモハシ150だ。
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。食堂車やビュッフェの形式は、もう模型でしか見られないような時代かもしれませんが、いつでも復活してもよさそうな車両でもあります。
現在の東京〜博多間より所要時間が長い
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。そうなんですよね。わたしどもも、意外なことに驚きました。距離はそこそこ同じなのに、それだけ速くなったんですね。
昔の新幹線の方今より豪華に見える。
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。おっしゃる通り、豪華な内装とサービスでした。
在来線特急(当時は新幹線なかったから在来線とも呼ばないが)で新幹線ではないよ。
かつて国鉄の特急に食堂車は当たり前だったのはもはや過去のものとなってしまった。食堂車で食事をしている間に降りる駅を過ぎてしまい降りられなかったケースをあったかも知れませんでしたね。by酒向正也
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。わたしたちのこのチャンネルは、RUclipsも独自サーバーもニコも含めて、8人のスタッフでやっていますが、乗り物系を担当しているのは2人で、しかもけっこういい年です。食堂車やビュッフェで食事をしていた思い出もそこそこありますが、改札が来ないんですよね。食堂車の中まで車掌が入ってきて、通路をスルーしても食堂車内では改札(検札)は、食堂長の許可がないとやりません。だから下車駅はアナウンスだけで、うっかり聞き逃して下車駅に停車してカレーライス半分食べてたらもうアウトです。降りる駅を過ぎる前に停車時刻を計算しないでハンバーグでも注文したら、残念なことになりました。
@@qsht食堂車を利用するなら始発から終点までですね(^_^;)富士は1978年まで晩朝昼、白鳥は昼晩食事が出来ました!!
「特急」やと軽い感じやけど、「特別急行」やと重みを感じます。
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。映画撮影当時は、急行が運行上の花形でしたから、時間も設備もサーヴィスもそれより上をゆくなら、「"特別急行"(特急)」ということになりますね。車掌さんが「とくべつきゅうこう」とアナウンスすると乗るお客も鼻が高く感じるものです。
@@qsht 因みに北海道では今でも「特別急行」と言われているそうですねぇ。
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。北海道の鉄道は、それだけでなく、ほかにも妙なところでちらほら鉄道の古典的表現を残しています。お暇なときに探してみてください。
名鉄特急はミューチケット購入しての車両は特別車と言われてます。 シンプルで快適。
パーラーカーが泣ける🥰
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。この、こだま型では、その後の国鉄の特急や新幹線に求められるであろう、ノウハウをいろいろ盛り込んでデビゥさせていて、その多くは時代に応じて改良され実用に引き継がれているのですが、このパーラーカーだけは、サービスも仕様も引き継がれませんでした。JRになって、豪華列車が登場したときは、パーラーカーを飛び越した仕様になってしまいまして、"幻の等級"などと呼ばれています。乗ってみたかった車両ですね。
本当に、その様に思えます。
外幌見るの初めて
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。このこだま型以後、長い間廃止されていた外幌ですが、連結面に飛び乗ったりするお客が出たり、高速列車の風抵抗を見直し始めて、近年また復活した工学プレゼンですね。
国有鉄道女性職員のケツを毎日触れるとか天国みたいな職場ですね。
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。この映画の平成になって書かれた映評記事に、「こんなの序の口で、車販の女の子はお婿さん探しでキツキツワンピースで前かがみで作業する」とゆう、逆セクアピールもあったそうです。
@@qsht 女は女の武器で戦う最高な時代でしたね。当然のベビーブームも納得です。パワハラもすさまじかった時代ですが、反面このくらい緩い方が男女共に楽しいですね。
コック時代のフランキーさんですね(^_^;)後に専務車掌役になる訳で(笑)
いつもご視聴ありがとうございます。この映画は東宝で、専務さんは松竹なのですが、出世ということでは各社ともにフランキーさんを大切に役振りしているようで、シリーズ並べて最後には 紀勢本線太地駅の駅長さんに出世していきます。
フランキー界さんは鉄道物の映画によく出演されてましたよね。喜劇駅前シリーズをテレビで見てました
ホームの台みたいなのがない時代なのね
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。あの"ホームの台"は、ただしくは何て言うんでしょうかね。わたしたちも"ホームの台"とか"洗う台"などと呼んでいます。そうゆうことで、"洗う台"なので、車体を洗うときに使う台なので洗い終わって出発を待つときには、台の無いところへ列車を入れ替えます。
国鉄特急電車の草分け的存在だった151系、ビジネスから観光まで重宝されましたね。by酒向正也
毎度ご視聴ありがとうございます。151系のメーカー竣工引渡カタログには、ビジネス移動最速、観光、団体と印刷されています。
草分けになった時は20系
あと、日光行きの東武鉄道1700/1720系けごん、きぬも豪華だったらしい。令和で151系に匹敵する車両はE261系サフィール踊り子と近鉄ひのとり、日光行きならスペーシアX辺りか。
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。151系電車で試みられたサービスの内容は、並べていただいた1720系、E261系サフィール踊り子、近鉄ひのとり、スペーシアX の曽祖父母に価すると考えていくとわかりやすい系譜かもしれません。もう、50年以上の隔たりの中にあると、気骨の薫風が残っているだけかもしれませんが、列車で過ごす楽しさを前の時代に倣って、いまのサービスで観ることができるのだと思います。
いきなりセクハラ全開で笑ったわ
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。これが、どのへんの時代から、喜劇で通用しなくなったのかわかりません。
151系は戦後復興の高度経済成長の象徴東京~大阪を6時間30分とスピードアップに貢献したビジネス特急パーラーカー一等車、二等車(グリーン車)、食堂車、ビュッフェと豪華なラインナップで充実している東海道新幹線開業後は山陽本線の長距離特急として山陽路を賑わせていた
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。151系特急型電車を海外に宣伝した国鉄のリーフレットを眺めると、美しいパーラーカーや1等車内の様子がよくわかります。特に、英語版とフランス語版では最高速力160km/毎時,と出ていまして、「動力分散方式の蝶矢」と読み取れる文があり興味深いところです。
こんな雰囲気の良いコミュニケーションが盛んだった時代を、過激的な若者文化によって踏み殺された。
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。若い人はどんな時代でも旧式で陳腐に映るものを蹂躙していく性質があるものです。振り返って、後悔するときにもこの映画を再生して観ることはできます。彼らが気付くのを待つしかありません。
1:51出区時に出発反応標識(レピーター)を確認する?映像には映っていないような…それはさておき、この角度ではバックミラーだかサイドミラーがはっきり確認できますね。出区を後追いで映したシーンで、左は80系全金車・右は101系のように見えます。101系がどうして東チタにいるのか疑問ですが、海水浴か年末年始の臨時列車用に駆り出されたのでしょうか。
あくまでも邪推ですが、映画撮影という事で駆り出されたのかも知れません(一種のプロパガンダ)。ただそうであればなんで153系じゃないのってなりますが。
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。当時の取扱規程と、指令には「車町、伊皿子、札ノ辻群線に於てはレピーター(規程集にはレピートとある)は指差称呼」と書かれています。これに則って映画時に国鉄の指導があったものです(キネマ旬報記事より)。札ノ辻群線は、品川客車区なので東京機関区との通知で、他は田町電車区と品川機関区(DD)の通知です。台本には、フェンダーミラーと書かれていますが、これは客車列車が主流だった時代の名残で、「後部ヨシ」の称呼の便宜装備ですから161系以後に消滅しています。 電車の連結器で外れたら大変ですからね。(80系は準急東海折り返し整備、101系は山手線の品川電車区開区以前の出待です。この前にクモ二13がついてます。)…このあたりは、当時の月刊雑誌TMS(鉄道模型趣味/機芸出版社刊)に解題が掲載されています。
@@qsht 丁寧に回答いただきありがとうございます。フェンダーミラーでしたか。ヨーロッパの鉄道車輌では、発車時にホーム確認を運転席横の折り畳みサイドミラーで行い、ホームを抜けると畳むというものを今でも見かけます。もしかすると、ワンマン運転時の側面確認用かもしれません。品川電車区は移転前は京急と山手線の間にあり、狭かったと聞いています。留置場所が不足して、田町入区もあったのでしょうか。それとも、荷電の運用の関係でしょうか。新しい情報で新しい謎が生まれました。
優美で威厳のある車両ですが、お手洗いは垂れ流し😫
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。そうですね、この電車がデビューしてからも、黄害が無くなるまではさらに半世紀近く要していますので保線さんは大変だったと思います。
特急「こだま」は、この時代を生きている人々には特別なものだったんですね😄特急「こだま」と比べると距離は短いですが今でいうところの特急「サフィール踊り子」クラスに当たるのでしょうか🤔?チャンネル登録させて頂きました😄。
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。奥行きから観ると、"サフィール"のなかにも、予約やシート給仕など、この「こだま」当時の流れを汲んでいるサーヴィスがあるはずです。どうぞ探してみてください。私どものチャンネルは8人分掌でやっておりまして、乗り物系担当は2人、あとは歌とかシナリオなどの動画をRUclipsとFC2を中心にupしております。この古典シリーズは つべ だけで流しております。
@@qsht さん、了解です😄。
これを見た時に、パーラーカーにつばめガール、はとガールみたいなのが乗っているのか?と思った。
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。この映画作品の時代には、国鉄の特急列車に乗務している女の子は、国鉄直轄部隊でパーラーカー基地(これが、〇〇ガール)と民間会社の部隊(食堂車とかビュッフェとか車販とか、これも〇〇ガール)の二つの系統が同居してまして、お客さんから見ると、女の子なので、どちらも列車名+ガールで呼んでいたようです。当時の新聞や雑誌の記事には、ほかにも「富士ガール」とか急行なのに「オリンピアガール」、一部の鉄道雑誌には「モハシガール」「クロガール」なんていう記述も残っています。
当時の東海道本線で人気を博した151系ビジネス特急こだまはパーラーカーや食堂車などの豪華設備を誇り、やがて0系新幹線に繋がったことでしょう。by酒向正也
毎度ご視聴いただきましてありがとうございます。151系電車が東海道新幹線の実験列車の役割を担っていたことは各方面で述べられている通りですが、先行する米独仏伊の特急サーヴィスを日本用にアレンジしたものと言われます。
@@qsht そんな中、東海道本線の高速試験には何と関東の小田急電鉄から3000形SE車を貸し出して運用されましたね。by酒向正也
いつもご視聴ありがとうございます。その後何十年か経過して、今度はLSEも国鉄へ入ってますね。
こだまの時はパーラーカーありもせんに。つばめが電車化されて展望車がないからパーラーカーになった。
“Oh no, this is the wrong train!” 😂
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。本編を観てますとこの外人さんたち、間違ってるって言われてるのに、この列車に大阪終点まで乗っちゃうんですよね。
食堂車や客室のスタッフ、カレチなどは実際に、こういう乗り方をしてたのでしょうか?
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。東京の品川駅と高輪ゲートウェイ駅の間辺りに在った、電車基地の田町電車区というところでロケが行われていますが、車両の車体を手洗いで洗うところには線路間に狭い通路がありましたが、出発群線は、田町に限らずほんとうにどこもこんな感じです。乗務員はふつう、基地の地平から乗り込みます。土砂降りの雨の夜の乗り込みは、女の子たちには辛かったようです。
おお、なるほど❥現在の東京車両センター田町駅地区ですね❦
今お尻触ったらセクハラだもんなぁ。
この映画、ひょっとして、はっしゃー、オーライ、明るく明るく♪の映画ですか?
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。んー、やや異なりますが、これもドタバタなので内容には大差ありません。
特急にっぽんですね!!
1号車がパーラーカーで1等車1等車だとグリーン車扱いになる
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。これはよく誤認識されることでもあります。後年になって、国鉄の等級制の編成を振り返るとき、4310(よんさんとう)をよく理解していないと、分からなくなる時があります。正確に申しますと、称号になお"イ"が残っている状態でこだまが運転されていますから、1等車(イ)≠グリーン車(ロ)、1等車=該当なし2等車(ロ)=グリーン車(ロ)3等車(ハ)=普通車(ハ)ということになる(中央書院「通知指定券」)のですが、グリーン車に1等表記がされていた時代があり、新幹線ではあるものの、北へ行く新幹線のグランクラスは何に相当するか?など、36(さんろく)と43(よんさん)の期間で等級に特例が多くあったからと述べられています(鉄道ジャーナル誌)。1等パーラーカーコンパートには、グリーン券(ロ券)だけでは忽ちに弾かれて乗れなかったのはそのためです。なぜ複式長券(硬券)を途中発駅に通知して返信を切って捌いたのかは、記事に詳述されています。
こんなDVD(特急にっぽん)が出てるとは知らなかった。森川信とフランキーと白川由美と横山道代はわかった、車掌は石田茂樹だな。それにしても東宝、151系ボンネットが好きだな。「宇宙大戦争」「天国と地獄」「フランケンシュタイン対地底怪獣」(だったかな?)などに登場の他、「キングコング対ゴジラ」では、わざわざ赤線入れた161系の模型が登場。「特急こだま」、わずか6年の寿命だったとはね。
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。鉄道モノだけとか、乗り物系だけで、昭和のころの劇場公開作品をさがしていきますと、たとえばヤクザ映画とかお笑い映画の中にも、「あら♥!」と思えるような珍しい車輛や乗り物が映り込んでいる場面が含まれていることが多くあります。タイトルに関係なく、どうぞお探しになってみてください。
すみません。森川さんはどの役ですか?もしかしてウェイトレスさんを電車に上げてくれた方ですか?
いつもご視聴ありがとうございます。森川さん(森川信さん)は、おっしゃる通り、ウェイトレスさんを電車に上げている方です。映画ファンの間では’’ノブ’’と呼ばれて親しまれていましたが、夭折されています。男はつらいよ,で、とらやの初代ご主人を演じていた方です。🐝
@@qsht2397 さまお忙しい中、ご丁寧なお返事を大変有り難うございます。(_ _)奥様は18歳のいいですか?いいですね?の校長先生ですね。(^-^)あまり若くて映画ではわかりませんでした。校長先生とは違う雰囲気ですね。でも声や顔に面影が有ります。とらやの主人もそうだとは、わかりませんでした。
古き良き日本国有鉄道昭和は遠くなりけり
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。人が列車を盛り立てる時代, だと当時の新聞がこの映画を評しています。改札口も乗務も、鉄道員がお客さんの正面に出ていましたね。
今だったら間違いなく懲戒免職で、ワイドショーのニュース「国鉄職員、毎日こだまガールにみだらな行為!」は一週間以上続き、5ちゃんは一晩でpart100まで往きそう。
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。この作品には、この前後のお話には、これらの場面以上の破廉恥シーンが続きますけど、楽しい内容です。やるほうもやられるほうも、笑って流していた時代、おっしゃるように、少なくてもわが国では、いまでは到底通用しないですね。
特急こだまも4打点チャイムだったの?!
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。これは、結果から遡りますと、逆でございまして、当時のこだま号は東海道新幹線の開業を前に、とりわけサービス内容の実験場としての役割もありました。このこだま号で、4打点チャイムを実験して内外好評を得たことから、新幹線0系こだま・ひかりで採用された とするのが経緯と言われています(雑誌"電気車の科学"記事より)。結果、在来線はおなじみのオルゴールを使い分け、新幹線が打点式という時代が長く続いたわけです。不思議なもんですね。
@@qshtそんな経緯があったなんて初めて知りました…!特急=オルゴールが染み付いてるのでなんともいえぬ違和感がありますね。ご丁寧に教えてくださりありがとうございます。
@@anesi198最近まで聴けた電車式オルゴールの鉄道唱歌は1964年の新幹線開業時から採用され始めましたが、私の考えですとにキハ81はつかりからだと思われます
昔くろしおに乗った時、ホームから飛び出して止まってたのでこうやってお尻押してもらってました。
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。昭和の頃は、全国あちこちで同じような例がありましたね。列車というのはたいてい、前ではなくて後方が はみ出すようです。降りる時が大変で、ご婦人方は後ろ向きでヨタヨタ降りてました。乗るときはおっしゃるように、飛び出すのがわかっている列車に備えて階段とも梯子ともつかないような踏み台があらかじめ備えられていたりして、お客さん自らが、「(お尻を)押してください」と頼んでいる場面も多々ありました。
映画だから脚色やええかっこしいな面もあって実態とは違う部分も多かろうが全盛期の151系の雄姿が見られるだけでも貴重な映画。DVDかBDあるなら手に入れたい(^^)/
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。この動画は30年ほど前の深夜劇場のTVを録画したものなので画質や色調がとても劣っています。もっと美しい本編はモノクロ作品ですが、レンタルとかセルでディスク化されていますから、どうぞご覧になってみてください。
車間全周幌の時代ですか
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。数年後に開通する東海道新幹線の実験的役割をしたのが、この151系でしたから、いまのように連結面に飛び乗るお客を防ぐのではなく、風の抵抗を減らす技術的な試みでした。
連結された食堂車に於けるウェイトレスは美人桜と呼ばれるほど人気を博しましたね。by酒向正也
毎度ご視聴いただきましてありがとうございます。女の子の乗務員は制服が花で、お顔はもちろんですが、ユニフォームにも人気があったと言われています。
乗務員は、ホームから社内に、乗るんじゃないんだ!
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。最近はホーム合流がメジャーになったようですが、昭和の頃までは、とくに都市部出区の回送始発の場合、旅客ホームに付ける前の業務を回送中にまとめる必要から、走行時間を活用していたようです。札運、品川、尾久、向日町あたりは、地平乗りをしていました。
運転士だけど今の方がいいよ…二人乗務とか嫌すぎるw
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。近距離の通勤電車と長距離の特急では乗務員の拘束時間も異なりますが、地下鉄の二人乗務とか、北海道の厳冬期の夜間降雪時の一人乗務とか、どの場面でもコモンとは言い切れないものがありますね。暴風雪時に助役さんが添乗するとか、そのくらいの二人なら人によっては安心するのかもしれませんが、常時二人というのも考えものです。だから合理化で真っ先にターゲットになったわけですね。
戦後わずか十数年でこんなにグレードの高い列車(人的サービスを含め)が運行されてたことに今更ながら関心させられます
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。
この映画の公開後、あともう少しすると航空機が台頭してきます。
終戦後、世界に追いつこうとして、思いっきり背伸びしたのが鉄道でした。
こだま号開発にあたって、当時の国鉄関係者は米仏へ何度も渡航した記録が残っています。
そうして就役した電車の技術もサービスも、新幹線に結実されているようです。
これは海外のホテルで偶然出会ったイラク人の鉄道エンジニア(日本企業で研修済なので日本語も話せる)も同じことを言ってました。戦争で焼け野原になって十数年でこれだけの電車を走らせるなんて、まるで魔法だと。日本人はこれを誇るべきだと。イラクにShinkansenを走らせるのが俺の夢だと言ってたけど、元気してるだろうかと、この動画を見て思い出しました。
便利になればなるほど人の生き方にゆとりが亡くなるって皮肉なもんだよね
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。
便利さとゆとりが並び立つ世の中というのは適うようで適わないものです。
大抵どちらかに差異が生まれます。
社会の縮図と言われる列車内や駅構内にはそれが見て取れて、
映画はその場面を残して伝えてくれます。
良いところは大切にしたいものです。
ゆとりがある時代は犯罪も多かったんだよなー
パソコンやスマホなんて無い時代の方が良かった
@@こどおじ46歳それはないと思う…
この時代は、乗員乗客共にコミュニケーションが充実していた。コンプライアンスがシビアな現代社会からすれば、おおらかな時代だったと思える。
いつもご視聴いただききましてありがとうございます。
自分で声かけて、目で見て,という一番確実な方法に頼っていた最後の時代ですが、
人間のやることなので、今に振り返って一長一短なのかもしれません。
個室、サロンカーは親と京都観光に行く時乗せて貰った、今でも鮮明に記憶してます、あんな贅沢な鉄道旅行は今は出来ません。
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。
最近はクルーズ専用の列車が就役して、とても高額な価格で、
指定券も取りにくい存在になっていますが、どれも臨時列車です。
この映画作品の当時は、
定期列車でサロンカーや食堂などがあったわけですから、
贅沢と言って間違いないですね。
@@qsht
RUclipsrが贅沢旅行をアップしてるせいで、なかなか切符がとれず本当迷惑。しかも外人も押し寄せて、よけいに取りにくいわ!
151系…やはり車格が違う‥クロ151(パーラーカー)をはじめ一等車や食堂車、ビュッフェなどを連結した凄い列車‥
本当の意味での特別急行列車だった‥
それに151系は日本の電車史上もっとも美しく典雅な作品である事は言うまでまない‥
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。
デビウした時代の鉄道で達成できるほぼすべてのサーヴィスを詰め込んだ宝箱のような列車でしたね。
@@qsht サーヰ゛スとも書きますね。白服のボイがうやうやしく一礼をし「サーヰ゛スでございます」と。
みんな必死で生きてたと思う。戦後復興、経済成長、海外進出を支えた先人達に心からの敬意を!
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。
この作品に登場する「こだま」号は、就役まで、
アメリカやヨーロッパの優等列車のサーヴィスを参考にして、
それに劣らないレべルを目指して開業しました。
復興の槌音の中を、決して劣ったものにしたくなかったのだと思います。
同様の社説が、この時代の新聞にも見られます。
背伸びして し過ぎることのなかった時代です。
あったかいドラマありがとうございます。往年の名優さまたちがいかに素晴らしかったか味わい深く見てます。
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。
昭和戦後の映画作品は、役者さんや台本と言っても、
言葉遣いも、身の振り方も、シーンに関係なく
まろやかで品があったように感じます。
監督さんの指揮と俳優さんたちの経験値が
今の時代で見ても遜色のない作品に仕上げてくれたのだと思います。
まさに『古き良き時代』の一言ですね。
私は元鉄道乗務員ですがこんな楽しそうに仕事ができた時代に働いてみたかったぁ!
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。
乗務される側に居られた方がご覧になっても、そう感じられるのなら、
鉄道職場にとって良い時代だったのかもしれません。
この作品に観る ふれあいや人間関係は、
途上国の鉄道を利用すると いまなお存在しています。
これDVDになってます。一見の価値ありです。但しこのシーン以外殆ど作りものでの撮影だそうで、それは良くできていて驚きです。特急が特別な急行だった良き時代ですね。
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。
東宝はこの時代並行してゴジラなどの高度な特撮をこなしていましたから、
特に151系編成模型のサイドビュー走行シーンや夜間の室内灯撮影などは、
パースペクティブを絶妙に効かせて、山や踏切を背景に上手に撮られています。
モノクロだったからできた粗を消せる特撮だったからかもしれません。
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。
このころ東宝はゴジラで特撮技術を研鑽していたので
お家芸と言えるテクをあちこちで用いています。
山影や琵琶湖を背景に151系の走行シーンを映す場面では
車体の山側は色を塗っていなかったそうです(キネ旬)。
東京 大阪が6時間30分でも早い時代。良き時代です。
18切符で移動すると、いろいろなありがたみを感じます😅
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。
どなたかがコメントされていましたが、
電気機関車の牽く つばめ号でも7時間以上要したそうですから、
当時としては早かったのだと思います。
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。
特急の目的は途中に用が無い人向けですが、
18きっぷは途中に用がある人に価値のある切符に変わります。
景色見たり、のんびりしたり、知らない人と仲良しになったり、
発売当初は「のびのび」という言葉が入っていたのもわかります。
東京~大阪間6時間半は日帰りは出来ませんよね
高成長期であくせくしてる筈ですがどこか安らぐ時代でしたね
今は早くてもストレスは逆に溜まりますね
@@ドミニオンパワー さん、私も俄かに信じ難いのですが、日帰り需要というのは、本当にあったそうです。^^
重要顧客に対して、社長・重役が直接訪問して挨拶するとか、役人の幹部クラスなどが重要な会合で訓令をする為とか。
今もそうですが、直接お邪魔する、挨拶する、というのが重要な場合だと、「そんな1時間ちょっとの滞在の為にw」とは言えない事もあったそうです。
電車の運転を、2名でしているとは、今では、ありえません。沢山の食堂職員、アナログスピードメータ。今や遠い、懐かしい昭和の鉄道風景ですね。
車種は[電車]でも扱いは[列車]。正運転士と副運転士(助士)の2名乗務が当時は基本(SLが原則機関士&機関助士乗務の名残)。信号確認・警笛吹鳴・車両点検・時刻確認その他助士(副)の仕事は多岐にわたったのが当時。
後年近代動力車(SL以外)を[列車]に於いても一人乗務化しようとして大きな労働争議になったのは昭和40年代。
但し、通表閉塞(タブレット・スタフ)区間はこれの受け渡しの為2人乗務が継続。
とアラカンオジン[鉄]がほざいてみるテスト
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。
キャブ2名乗務は映画公開当時の国鉄の
運転取扱基準規程の条文に明記されていましたので、
規則通りの運用なのですが、
これを順法闘争の手段の一つに使われてしまったことから、
合理化の名の下に九州から徐々に廃止されていきました。
公開当時すでに東武鉄道や名古屋鉄道などでは一人乗務がされており、
最後まで残ったのは
厳冬期の北海道内の夜行優等列車だったと報道(毎日新聞)されています。
いまはどの国を見ても世界的に一人乗務になってしまいましたが
となりに一人いてくれると心強いですね。
貨物も最後尾に車掌車がついてましたね。
@@gaikaomiru 緩急車(車掌車)が連結されていない今の貨物列車は何だか格好悪い👎ですね。
助士とはいうけど免許もってるんですよね?
車両、各々のセクション乗務員、みな誇りと華を感じます。
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。
この映画の時代は、みんながむしゃらに働いて稼いでいた時代で
そうするうちに、自然と自分の持ち場に甲斐性を見出せた,
そんな世の中だったのですね。
川島雄三監督作品ですね。人間性の描写が繊細で現代的ですね。
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。
川島監督は戦後東宝のホープと目された方で、特撮まで動員してこの作品を完成させています。
慣れない方がまとめると、特撮と実写のギャップが激しいのですが、
上手にまとめて埋めているあたりは 観客に違和感を抱かせません。
長く見続けなくても、ちょっと観ただけで、
登場人物の上下や交友関係が簡単に分かるようにまとめるところは流石です。
戦後10年足らずで…
日本人すげー
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。
おもに、ヨーロッパの国の鉄道サーヴィスを参考にしたと、当時の国鉄広報誌には書かれています。
真似でも何でもいいから、取り戻して追いつきたかったのだと思います。
このサーヴィスは新幹線に洗練を重ねて受け継がれていきます。
日本が元気になる少し前の映像でしょう。昭和の昔の人たちは、元気で生きることに諦めてはいなかったと思います。声が大きくて、よく笑う印象です。昔は良かったと言いたくないですが、昭和の日本は良かった!
楽しく拝見致しました。
1961年の映画ですから高度経済成長期真っ只中、一番元気な時代でしょう。
この僅か三年後には新幹線が開業しますのでこの新型特急こだまも主役の座を降りていますね。
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。
感覚が鈍かったのではなく、おおらかだったのは間違いありません。
騒ぎ立てなくてもよさそうなことは、
心に秘めて 笑顔で覆っていたいた美徳なのかもしれません。
もう、映画の中でしか戻れない時代です。
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。
とりわけ、東海道筋の特急列車は、
開業が迫る新幹線の実験的役割を果たしていた時代でした。
技術だけでなく、サービスの在り方も、この列車で実験して、
優れたものを新幹線で咲かせました。
食堂車とビュッフェがそれぞれ1両ずつ連結されていたのも
その一つだと思います。
中1の時友達と初めて秋田から上野行き
のいなほ号の食堂車でスパゲティミートソースを食べたのを思い出しました
子供ながら日本海を見ながら食事ができるなんて贅沢だなと思いました
いつも懐かしい動画ありがとうございます
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。
とても素敵な思い出をお持ちですね。食堂車の食事は、景色も料金の内と言われています。
速いのも嬉しいですが、思い出は少ないかもしれません。
むかしの楽しい出来事は貴重です。どうぞ大切になさってください。
いなほ号の食堂車、私も子供の時利用したことがありあます!私は鶴岡からの乗車でした。なつかしい。
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。
羽越線は海側のテーブルで食事をすると、得した気がしたものです。
夜も水平線まで星空が広がって、ほんとうに流れ星のような思い出ですね。
私も今でも凄い思い出です。^^
やはり、いなほ号に「ミートソーススパゲティ」ありましたよね?^^
青函連絡船でも食べたのですが、どちらかが「駿台予備校食堂」にあった味と、非常に良く似ていたんですよねw^^
@@skaku3835 さん
「駿台予備校食堂」と似た味・・は面白い話。私は子供だった時なので「お子様ランチ」を食べたと記憶しています。
ミートソーススパゲティ」はあったと思いますよ。
この時代が1番自由
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。
規則や決まりの多くは、後からついてくるといわれます。
それだけ先端を行けば行くほど、自由に進めるというわけです。
慣習にも後押しされて、ほんとうに自由な時代でした。
151系使用のこだまは東京から大阪までを走行、ビジネスマンにも親しまれた存在でしたね。by酒向正也
いつもご視聴ありがとうございます。
当時のパーラーカーの指定席特急料金を現在の市価に換算するとグランクラスよりも上回ります。
ビジネスマンでも上場企業の管理職や、町工場の社長さんが支払って満足する金額ですから
2等車あたりが人気車種だったようです。
車内サービスのためのスタッフが多いのに驚きます。
いつの間にか食堂車どころか駅弁の車内販売も無くなったな。
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。
食堂車は仕方ないのかもしれませんが、駅弁の車内売りはもっとあって欲しいものです。
東海道山陽新幹線に乗りますと、ワゴンに積んでいる場合もありますが、
お昼時はあっという間に売り切れてしまいます。
売れ残しても困るものなので、
全盛期は眠っているお客を起こしてまで売りに来た時代もありましたが、
残念な話です。
昔はお客さんへのサービスのために人数がおりましたが、今は儲けのために人数削減、機械化、つまらない世の中です。食堂車もあればいいのに。
スーパーでさえ万引き覚悟のセルフレジで、客に何でもやらせながら値段下げない。😱
毎度ご視聴ありがとうございます。
セルフレジで便利なことは、
11円の品物に1万円札で支払うと9989円のお釣りが来て
両替できることぐらいです。
店員に嫌な顔されないで済みます。それだけ。
嫌なことがあったら、
力強い歌を聴いて歌って、吹き飛ばしましょう。
わたしどものチャンネルが FC2 にもありますので、
どうぞおたずねください。
トレードマークは、赤丸に鳥です。
お歌メインですが、
ruclips.net/video/gFOkJ5vLOl8/видео.html
こちら↑のコメント欄に連絡通路があり、そこから渡れます。
軍歌や讃美歌なんだけど、
歌詞とは全く異なる背景動画や
RUclipsでは到底公開できないような作品を
お楽しみいただけるはずです。😋
@@qsht さん
駅弁は売れ残り廃棄のコストが馬鹿にならないそうです。終点まであと30分だから半額!とかも出来ないですしね。
都会はエキナカ、全国的にコンビニが充実してしまい、食堂車、車内販売に次いで、ホームの売店まで無くなってきました・・・。
駅を優先にし過ぎる
わー懐かしい こだま号 パーラーカーは憧れの的でした。座席に電話もあったんです。
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。
いちばん大阪寄り先頭の車両はサロンで、
呼ぶと掛の女の子が電話を持ってきてくれたそうです。
好きな151系が主役?のようで目が離せず見ていました。
出区のシーンで右側にいる
眩い新車の101系も見逃せない👮
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。
いまもなお、ファンが絶えない151系電車が、
一編成まるごとそのまま復活したら、
みんな撮って乗って大変なことになるかもしれません。
技術的には難しいことではないと思います。
夢のお話ですね。
@@qsht全車指定にしクロ151はグランクラスにしましょう(笑)
毎度ご視聴いただきましてありがとうございます。 もうすこし窓が大きなグランクラスだと楽しいかもしれませんが、トンネルの多さには閉口。
「国鉄」好き のオールドファンです。
貴重な映像、ありがとうございます。
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。
他の方からもコメントがございますが、
わたしたちは、どうして「国鉄」が
いつまでも好きなのでしょう?
そう考えて、
若い方(テレホンカードも知らないような年代の方々)にも
知っていただこうとして
名場面を切り取って流しています。
オールドファンの方には、
夢枕に再生してみてください。
@@qsht さん
ご返信ありがとうございます。
私の頭の中では今も20系客車や181系電車、80系気動車が現役で走っております(笑)
本物の151系を実際に使用して、フランキー堺さん等俳優人を起用した映画があった事に驚いた…
1960年代は色々な俳優さんと国鉄の現役車両を使った映画を多数作製し、放映してた事にも初めて見て、当時の様子が間近に見えて感動した。
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。
1960年代は、高速道路が未発達な最後の時代でしたから、陸上輸送の花は鉄道でした。
そんななかで、豪華で速い特急電車が走りだしたわけですから、
映画の題材にも容易に引かれたのだと思います。
新進気鋭の俳優さんや新型車両の組み合わせを、劇場公開映画にしたものですから
たくさんの観客を動員することができた、夢のような時代作品です。
もう少しで廉価なカラーフィルム時代が到来した、そんなころの映画ですね。
発車とともにかかる音楽が素晴らしいね
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。
上映当初は大したことのないBGMと思われているような曲でも、
作品と共に残っていると、
どうしたことか絶妙にマッチするのが映画音楽の不思議なところです。
このこだまから発せられるオーラは今の新幹線や特急列車とは比べ物にならないぐらいすごいですね…
まさに特別な急行という感じです…
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。
「外国から来たお客さんが乗っても遜色のない車輛」を
めざしたのではなく、
「外国から来たお客さんでも驚く車輛」を
目論んだそうです(当時の朝日新聞の記事)。
定期列車で。
当時は
四季島・ななつ星・瑞風を定期列車にするくらいのコンセプトだったようです。
映画作品ですので事実と異なる(女性職員の乗務)場面もあろうかと思います。
しかし、食堂車で働く方々が多く乗務され(出発シーンでの並び)、鉄路に華がありました。
良き国鉄時代を拝見させて頂き、ありがとうございました。
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。
劇場公開映画ですので、集客のための脚色はあたりまえなのですが、
現実とかけ離れ過ぎていても観るほうは興覚めしてしまうものです。
東宝はありそうでない、なさそうで実はある,というシナリオを
上手に事実と混ぜ込んで制作しています。さすがに映画会社です。
今の効率的な時代が人間社会として正しい姿なのか?
なんだか涙が出てくるね。
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。
その時代の誰もが違和感を抱かないことが正しさの中にあるものだと思いますので、
違和感を抱きながらも言い出せる人が出てこないで、
流れ着いたのが今の世の中なのかもしれません。
効率的だけど、どこか歪んでると思いつつ、
悔しいですけど鉄道でも。
東京、大阪、いまはのぞみで2時間半。
でもこの当時の在来線で6時間半も相当頑張っていた。
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。
そうですね、狭軌で、在来線の線形では、
この速度と時間が頂点だったのかもしれませんね。
2時間半は、やはりあらためて早いですね。
0:28 にノブがでてきた。
声もノブ。
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。
森川さんはどうしても寅さんのイメージが先に浮かんでしまうのですが、
キャラ振りそのものは、全然変わっていないんで、すぐにわかります。
夭折された惜しい方でした。
当時の『こだま』には乳幼時期で乗った記憶がないです。でも,乗車して,食堂車でご飯食べて,お休みしながら旅してみたかったです。
今は,お弁当食べて,チラッと携帯見てる間に、新大阪に着いてしまって、便利だけどつまらなくもある時代になりました。
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。
この、こだま号が走り出した時代は、いまに比べると
世の中がのんびりしていた時代でしたから、
’’颯爽とした’’存在だったわけですが、時間尺は残酷で、
休みながら進む楽しみをどこかへ隠してしまいました。
便利が必ずしも楽しいというわけではありませんね。
たぶん、私も同年代で乗ったことが無いです。長距離の家族旅行もありませんでした。
本当、駅弁食べてコーヒー飲んでアイスクリーム食べて携帯でニュース見てると、もう大阪で味わいが無いです。ビジネスマンならいいんでしょうが観光だと列車の旅を楽しみたいですね。
幼い頃 こだま 乗りました🚄
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。
新幹線ではなくて、この151系電車でしたら
とても貴重な思い出ですね。
@@qsht2397 返信メールありがとうございます🙇♀️ 昭和48年か49年頃 新潟県上越市 直江津に住んでいましたが、父親の仕事の関係で 長野県 諏訪郡 下諏訪町に転校(当時小学3年生)した時 移動で乗車した記憶が有ります。(間違っていたらすみません💦)
詳しいご解説ありがとうございます、このころは横浜を出ると名古屋まで無停車でしたから現代よりも過酷ですよね、新幹線が開業する前の東海道線はまさにベルエポックでしたね😀
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。
この時代のこだま号は、走行中に運転士さんが交代(田町←→大垣)するという離れ技をやっていました!
そうしないとトイレが大変ですからね。
一説には安倍川の鉄橋通過中にで交代してたとか。
助手席との交代ではなく、客室内から運転台に入っての交代。
★コメントレスポンスの下の返信を使うと、
同じスレッドの中に書き込むことができますので、
こんどお試しになってください。
151系!!この頃からオルゴールが装備してたでしょうか?電車なら定番の鉄道唱歌でしたね!!
3:18
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。
オルゴールは私鉄も含めると戦前の客車にも装備されていたようなのですが、
この151系のそれは 五打点グロッケンのオープンリール再生を使っているようです。
よくデパートで「お呼び出し前後鈴」のあれの録音再生です。
この時代すでに新幹線の建設が始まっており、
いろんな車内放送を含めた実験をこの特急でおこなっていたと言われています。
民営化前までの東海道新幹線の放送前鈴は、たしかにこの音叉の四打点(ドミソド)を用いていました。
@@qsht なるほど、ということは東海道新幹線開業時から採用され1968年以降に在来線も普及したのでしょうか?
毎度ご視聴いただきましてありがとうございます。
国鉄のオルゴールの系統は、
新幹線系統と在来線系統とが、発達系譜がものの見事に分かれていまして、
新幹線から下がって在来線に用いられたものもありますが、
在来線で使っていたものが新幹線に"そのまま"入った例はありません。
普及というより、必要性から在来線にも伸びたというのがこれまでの流れだと思います。
夜行列車で明け方、いきなり「みなさんおはようございます」と聞こえるより、
オルゴールのほうが緩衝に使えるからなのでしょう。
一説には「ディスカバージャパン(増収キャンペーン)」で
オルゴールの車種分類が固まったと言われています。
@@qsht なるほど!!
特急列車が本当に特別な時代だったからこそ人的サービスも充実してたんでしょうね 今では新幹線パーサーでさえ2〜3名しか常務してませんから淋しい限りです
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。
現在の交通の現場は(特に鉄道現場は)、
鉄道員が少しでもいなくて済むような進化のしかたをしています。
駅員はもとより、車掌も、リニアでは運転士までいなくていいようにしていますので、
それが良いのか良くないのか、この映画の時代をつい、比べてしまいますね。
懐かしの東京駅15番線からの出発ですね、ここから151の特急と20系の寝台列車がゾロゾロ出発していましたね。
東チタの出区のシーンで80系は東海道に新しいのが導入されるのは分かりますが101(かな?)は珍しいですね、カナリアでしょうから山手線に導入直前でしょうか。
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。
東京駅は、すくなくとも昭和の頃は
夕方の15時を回ったあたりから、
楽しい長距離列車のオンパレードでしたね。
101系は山手線用の編成です。
田町駅返しと品川駅返しの運用では、
田町電車区にいったん引き上げていた時代がありました。
(但し、品川客車区の架線が張ってある一部群線だけに寄せて)
公開当時のこの映画の映評にも
このあたりの事情が書いてあります。
特急にっぽん ですね
白川由美さんのつばめガールがとても美しいです😻
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。
女優さんは、カラーでもよく映えますが、
白黒のコントラストだと、より美しく見えるのは
いつも不思議に思っています。
まだ新幹線ホームが出来る前ですね。15番線の横に機回し線がありますね。
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。
おっしゃるように"16番線=機回り"ですね。
もう、東海道新幹線ホームの工事が始まっていますので、
救援車代用控車が留めてあるところから東側は
もともとこの場所にあった東京機関区の派出です。
なので、この16番は映画撮影後まもなく廃止されて、
付け替えは神田引上か11番を使うことになるわけです。
凄く貴重な映像ですね
クロ151のヘッドライトに赤色フィルターが装着されているのが鮮明に確認出来ました
0:55~からのシーンで右側に101系が居ますが、車体色が白っぽく見えるので山手線のカナリヤイエローかも知れませんね
ただ、同線に101系の配置が始まったのは1961年10月からなので映画の製作が1961年春ならオレンジの中央線かも知れません
撮影は田町電車区でしょうけど、田町区に101系というのも珍しいと思います
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。
この映画のスチールにはカラー版がありますが、
それには黄色い車体で彩色が施されていますので、
カナリヤで間違いないと思います。
配置は書類上では
モハ90で始まっているそうなので(「電気車の科学」誌)、
101系と見做した時、あり得ることだと思われます。
この時代、高速度や性能試験のために
田町電車区と大井工場、国分寺の間で
車両の往来が頻繁にありましたので
その出待ちの写り込み(運転士さんは品川の構内運転士)と思われます。
昭和が懐かしい。
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。
映画では匂いや香りを伝えることはできませんが、
こだまの当時と今の鉄道では、芳醇さが異なるといいます。
とくに食堂車やビュッフェの近くを通ると、美味しい香りがしていました。
運転士は二人だったんですね。社内サービスの可愛い子ちゃんもいるし。昭和の高度成長時代は良かったなあ。
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。
"駅を通過するタイプ(準急とか急行とか特急とか)の長い距離を走る"
列車の運転乗務員さんは、
この映画の時代あたりでは、2人乗っていたようです。
これは、蒸気機関車時代の名残でしたが、
やがて一人になり、
いまでは車掌さんもいないワンマン列車が多くなりましたね。
新幹線よりも豪華列車って感じだな
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。
このころの国鉄広報は、日本国民向けもそうですが、
いまで言うインバウンドの集客に力を入れていた時期で、
内装も、技術も、サービスも、とりわけ欧米からの
訪日外国人に満足してもらえる内容を目指していたそうです。
東京~大阪6時間半はだいたい今のサンライズと同じ位ですね。
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。
そう言われるとそうですね。あんまり変わってないのは今はゆっくり走ってんのかな?
@@qsht さん
サンライズは130㎞運転をしていますので、米原~沼津くらいまではかなり飛ばします。
逆に、120㎞で同所要時間を走ったこだま号が凄いと思います。
搭載しているモーター出力も1機当たりは半分です。
所要時間6時間って…。昔は大変な移動だったんですね💦いまは2時間ちょっと…。
当時としては革命的だったんだぜ。東京大阪が日帰りできたんだから。戦前の特急つばめが8時間。東海道本線が電化されてからEF58が引っ張ったつばめも7時間30分
だったしな。
だけど展望車は失われたです替わりにパーラカーはできたけど。ちなみにこだまは机のある車両があって学者や設計技師はそこで仕事をしたそうです。じいちゃんは学生だったけどそこで勉強したんだって。椅子でもできたのにね。
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。
行った先の仕事も半日の のんびりした時代でしたが、
このこだまには、食堂車とビュッフェが連結されていましたので、
途中の停車時間が2分に満たなくて窓も開きませんが、
楽しい旅を味わうことができたことでしょう。
スマホいじらないで6時間過ごせた時代。
@@qsht
シートにラジオがついていたそうです。なので情報収集もできたし退屈しなかったのかもしれません。
毎度ご視聴ありがとうございます。
「はと」の営業列車でお客相手にTV受像実験が行われた記録(結果失敗)もあります。
1959年、昭和34年は高度経済成長のずっと前です。大都市の幹線道路でも車はまだ少なく信号などなくても人が横断できるような状況でした。
東海道を6時間半で大阪まで走る「こだま」は、今思えば速度や乗り心地は現在東海道線を走る在来線よりやや劣るくらいの列車でしたが、皆が憧れるスター的存在でした。鉄道の主役は蒸気機関車の時代でしたからね。
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。
おっしゃる通りですね。
道路信号も横断歩道それ自体も、
ほんとうに少ない時代でした。
ホームも白線だけ、発車ベルも電鈴だけでしたが、
東京~大阪の所要時間が、
いろいろな物差しとして用いられ始めた時代でもありました。
三国連太郎主演の「大いなる旅路」のラスト。
定年を迎え夫婦で息子(高倉健)が運転するこの「こだま」に乗り、娘に会いに行くシーンがありました。
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。
“旅路"は戦前から戦後までの時間軸を長く取った東宝の名作ですね。
151系の運転台から眺める六郷川橋梁渡河のシーンは、これも貴重なものです。
特急こだま、東京~大阪行き所要時間6時間ですが約60年後の令和5年は新幹線のぞみで東京から新大阪間2時間30分と結構早すぎます。ただ北海道新幹線の札幌駅が開通したら東京までは5時間と新幹線のぞみの東京~新大阪間2時間30分と2倍の所要時間になります。岡田憲哲。
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。
東京駅で新幹線の線路がつながらない不思議が解消されたら、
さすがに新幹線でも札幌~鹿児島中央間は寝台車の再来になるかもしれません。
今の女性とは違う品のある発声。そして喋り方。
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。
戦後から10年そこそこしか経過していない時代の映画作品には、本作も含めて、
シナリオやアフレコの中に、たくさんの大和言葉が散りばめられています。
特にご婦人方のことばには撫子(なでしこ)調と呼ばれる、
本来、日本の淑女が持ち合わせている自然な言葉を聞き取ることができます。
わたしどもの独自サーバー配信 で公開している軍歌集に「大日本の歌」という歌謡がありますが、
この歌詞で使われているような言の葉が、戦後に廃れる前の言い回しです。
こちらのリンク先から渡ることができます。→ruclips.net/video/gFOkJ5vLOl8/видео.html
2:08 大いなる驀進に登場したぽっちゃり系な政治家(上田なんとか郎さん)を送る様な盛大さですね(笑)
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。
西本願寺が撮影協力した映画ですので、
門徒団体でエキストラを埋めています。
2等車との客層の差異が話題になった映画です。
この時代は乗務員さんも沢山乗っていましたね!
つばめガール4人?食堂車乗務員が5~7人でしたっけ?
車掌も4人くらい乗っていたのかな?
食堂車乗務員と車掌等の乗務員さんは、昭和末期頃の鉄道ジャーナルなどを見ると、乗車レポで出てきますが、びっくりするほどのサポート体制でしたね。
まさに特別急行、でしたね!^^
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。
つばめはわかりませんが、この、こだまについては、
日本食堂社員15名添乗(キネマ旬報の記事より)と定められていたようで、
これが、通しの15名なのか、かわるがわるの15名なのかは定かではありません。
国鉄の乗務員は9名で、2名乗務の運転士は安倍川の鉄橋の上で走りながら交代した人数を入れて、
それに警乗の公安職員も含めれば、だいたいそんな人数です。
令和はこう言う働く人も楽しそう笑笑 って言う日本になれ。
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。
古い作品ですが、勤労の姿が他者から見ても美しく見える時代は、
いつの世にもこの国に続いていてほしいものです。
今みたいに人員削減、何でも自動化じゃなくてたくさんの人が働く場があって良い時代でしたよね😉昭和は良かった😊
@@ANIYAN223 そもそも人が減ってるからしゃーなし
ただ、昔は「皆に愛想良く」「先輩・目上の人のご機嫌を取る(気を遣う)」「辛くても頑張る」というのも重要な社会人の心得でした。
その為に「先輩の酒の席には付き合う」「上司先輩が帰るまで中座(早退)しない」「少しくらい具合が悪くても休まない」という制約も多かったです。
車社会になれば先輩の酒の席なんてなくなるよ。
当時は在来線で大阪まで行ってたんだな、そしてこの9年後に新幹線が誕生し0系がデビューそして時が流れ100系と300系そして500系に700系とそしてN700系でそして令和に入って現在活躍しているN700S系と来てそして時速 100km 160km 210km 270km 285kmとスピードも速くなりそして今検証中で近い将来実現するかもしれない360kmと進化し続ける
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。
以前新聞記事に出ていたのですが、鉄道(レールの上を進む乗り物)には速さの限界があって、
人を乗せた場合は700km/hが限界なようです。
人を乗せてない場合(例えばミサイルとか砲弾とか)はマッハ1.5は出せるそうです。
凄い!
この時代ですでに食堂車のクルーがホームに向かってお辞儀している。
あと座席特急で全座席指定も存在していたんだな。
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。
車内営業は国鉄とは異なった日本食堂などの業者さんが仕切るテリトリーなのですが、
とくに、始発駅では戦前(例えばつばめ号とか)から発着ホームに向かって
従業員整列して一蔽(発着ホームに向けて整列し上半身を折っておじぎ)しなければならない,
という内規がありました。
ブルトレブームあたりの時代では入線時を省略し、
発車時にホーム駅長事務室を過ぎるあたりまで一蔽
というかたちに変わったようです。
これは新幹線食堂車(2階建てを除く)でも同じでした。
座席特急の全座席指定は、すでに戦前にも存在していて、
私鉄では近鉄や東武などで記録があります。
この「こだま」号は、その基本を一通り踏襲していた列車でした。
一馬大西さん。
特急は戦前の特別急行時代から指定席が前提なので、料金設定も指定席が前提。自由席はそこからお値引き。今でも例外なのは「自由席特急券」「特定特急券」なんですね。自由席はずっと後から出来ました。
急行は自由席が前提なので、料金設定も自由席が前提。指定席はそこから加算。「急行券・指定券」になるんだそうです。
1972年10月まで特急は指定席のみで、その後自由席を設けてL特急が登場しました。
自由席のない白鳥などはL特急でなく、ただの特急でした。
今で言えば「ななつ星」や「四季島」みたいな列車かな?。見るからに、本当の特別急行列車「こだま」ですね。
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。
そうですね、さすがに「ななつ星」や「四季島/瑞風」は
豪華の極致ですから、そのまま比べることはできませんが、
ベースは「こだま」にも遡るところが多いと言えますね。
当時は、いまわたしたちが ななつ星… を迎えた時のような驚きが、
お客さんにあったのだろうと思います。
異なるのは、それが定期列車だったことです。
なんてこった
懐かしすぎる
ああぁぁー
良い時代じゃね〜か
ただ6時間ってやばい
いま最長時間で寝台除くと5時間無いぐらいじゃね?
大阪東京を往復でもうグッタリだよな
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。
スマホもない時代に、時間つぶしは、
新聞・雑誌・食堂車・ビュッフェ・車内販売・車窓の景色・見知らぬ人との会話
たいへんだけど、楽しかったのはなぜなのでしょう?
今や新幹線でもお弁当の匂いがきつい物や大阪土産の551肉まんなどは敬遠されるぐらい車内の狭い空間に押し込められる
この30年代はまさにみんなが夢と希望で活気のある時期だったと思います
この作品と渥美清主演映画の喜劇急行列車、見比べて観るのも良いかも。
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。
鉄道や列車や駅を舞台にしたシリーズ物は
ロケの運用のしかたで同じところと異なるところが見えてきます。
東宝、松竹、東映ともに
同じ時代の中で似たような展開であっても、実存する列車を舞台に撮影していますので、
後年になって資料的な価値も見えてくるのだと思います。
当時の特急に乗車できる人は限られた方々だったんでしょうね
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。
きっぷ(指定券)の取り方は今と同じ窓口なのですが、
法人売りしていた時期が長かったようで、
重役さん向けに占め買いされていたと言われています。
けれども、いちばんリッチなチケットでも、
運次第でお金さえあればGETできたみたいですよ。
車掌役の石田茂樹って眼鏡がトレードマークみたいなモンだったけど……
其れにしてもフランキー堺と川島雄三は日活から東宝来て正解だったなぁ。
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。
日活から大映行っちゃって
ガメラまで付き合って会社もろとも消えてしまった俳優さんもいるのに、
ハンティングされた幸運をフルに売ったお二人ですね。
俺の親父が1歳の頃、このこだま号に両親と一緒に乗ったことがあるらしい…63年前も昔の話だけど笑笑
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。
いいですねぇ。そんな時代に生きていたご家族が身近にいらっしゃるのは
素敵なことですね。
決めた!僕はコックになる!
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。
食堂車出身のコックさんは意外と多いようです。
みんな、降りて、ご自分の店をお持ちになるのでしょう。
頑張ってください
12時半出発で19時大阪到着
かなり時間がかかったのだね
もう一度食堂車を繋いで昼の超特急サンライズ瀬戸で高松へ繋げてみるのもいいかも
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。
おっしゃるように、
サンライズクラスの特急は、食堂車の連結が似合う列車ですね。
もうちょっと運転区間を延ばすとか、
日本海や瀬戸内海など眺めながら食事ができたら
どんなに楽しいことでしょう。
客車のつばめなら8時間くらいかかってるから早くなってるよ。
@@qsht 個人的に車両を作り往復運行↔︎⇄
料理人やその車両に入るお店を用意して調理を出すと面白いと思います
料理人やお店が決まらない日はHIKAKINのカップラーメンを出すとか
有名店舗の監修即席麺やレンチンのメニューを用意するなどをして賑やかで旅情を楽しめる鉄路が存在すると平日もより乗りたいと思えるのにね
@@tydeentetuota5514 いまの時代に8時間かかる列車は運転手や車掌だけではなく乗ってる人も長時間移動で疲れるものだと思います
この頃はトイレが垂れ流しだったから列車の下回りはとんでもなく臭かったけどな
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。
こうした特急電車だけでなく、当時から「線路上は汚い」という印象がありますから、
とりわけ保線さんは大変な仕事だったことだろうと思います。
そう、かつての列車トイレは垂れ流しで停車中は使用しないで下さいという注意書きもありました。走行中の揺れに勝てず停車中でも使用した方も中にはいたかも…。また沿線住民からも国鉄側に対し異臭がしてあとを絶たないと苦情も出ていたとか…。更に保線作業員からも臭いと闘いながら線路保守もしており、いろいろ悩ませていました。今ではもう考えていないことで黄害や異臭対策として列車トイレは床下に汚物タンクを設置して車庫や検車区で抜き取る方式に変わっている。by酒向正也
12:30発のこだま?
この頃の第2こだまは14:30のはず。
映画だから架空のダイヤか…
2等車(今のグリーン車)のすみにビジネスデスクが備えてあった。
まさにビジネス特急。
いまは自分の席でノートPCを開いて仕事している。
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。
ご指摘のように、
この設定はこの映画が劇場公開された直後から映評され、
「これは"ひびき"のスジではないか」とか、
新聞でも話題になっています。
後のキネマ旬報で種明かしがされて、
12時30分東京発のスジは
"9台(臨時列車)"で線引きされていたのは事実で、
じっさいにはこのスジに列車が入れられた記録はないそうです
だからあながち架空でもないのですが、
本編をご覧になるとわかりますが、
早朝に出区したにしては発車がお昼の設定ですから
食堂車シーンを多く絡めるシナリオ上、
お昼ご飯時の設定にしたのと、
実在する列車スジで上映すると、映画に影響されたお客さんが
実列車に集中してしまう混乱を避ける狙いもあったようです(同誌)。
2:05 ホームでのこの盛り上がり具合から推測して、この時代特急に乗って出かける事は今でいう海外旅行かそれ以上に特別な事だったかもしれないですね。
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。
特急と言っても。汽車ではなく電車というところが
時代的には魅力だったこともあると思います。
大人たちが子どものようにはしゃいで待つのもわかる気がする背景ですね。
返信頂きありがとうございました。
電車は今では当たり前ですが、まだこの時代にはあまり電化されておらず、珍しかったんですね。
この年の3年後の1964年には「夢の超特急」と呼ばれた東海道新幹線も開業するため、その時の人々の興奮具合も相当なものだったと思います。
東海道全線電化は昭和31年だけど東京や大阪の近郊区間はもっと早くから電化されて短距離電車は走っていたでしょう。
サンロクトオ前特急で6〜9時間だこんちくしょう→現在快速、新快速で同じという
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。
在来線に関しては、
曲線や勾配、線路規格(とくに軌間)がそのままであるかぎり、
何十年経過しても出せる速度の限界は変わりませんから、
したがって所要時間もそれほど変わらないわけです。
東海道本線が
新幹線開通後に民営化されなかっただけでもよかったかもしれません。
鉄道で旅を楽しめることが少なくなった気がします😢
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。
モノと人を目的地まで運ぶ使命,という役割を煮詰めていくと、
旅ではなくて移動手段の機能だけになってしまうわけです。
会話も、コンパートメントも、開かない窓もいろんな原因が作用しています。
パーラーカー導入直後ですね。
こだまにも、つばめガール、はとガールみたいなアテンダントさんが乗車していたのか。
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。
アテンダントの女の子が乗務している列車は、俗称で「○○ガール」と仇名されていた時代で、
新幹線開業と同時にいなくなってしまいました。
けれどもなぜか乗っていたのに
「富士ガール」とか「ひびきガール」というのは定着しませんでしたね。
凄い、サシ151とモハシ150だ。
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。
食堂車やビュッフェの形式は、もう模型でしか見られないような時代かもしれませんが、
いつでも復活してもよさそうな車両でもあります。
現在の東京〜博多間より所要時間が長い
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。
そうなんですよね。わたしどもも、意外なことに驚きました。
距離はそこそこ同じなのに、それだけ速くなったんですね。
昔の新幹線の方今より豪華に見える。
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。
おっしゃる通り、豪華な内装とサービスでした。
在来線特急(当時は新幹線なかったから在来線とも呼ばないが)で新幹線ではないよ。
かつて国鉄の特急に食堂車は当たり前だったのはもはや過去のものとなってしまった。食堂車で食事をしている間に降りる駅を過ぎてしまい降りられなかったケースをあったかも知れませんでしたね。by酒向正也
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。
わたしたちのこのチャンネルは、RUclipsも独自サーバーもニコも含めて、
8人のスタッフでやっていますが、
乗り物系を担当しているのは2人で、しかもけっこういい年です。
食堂車やビュッフェで食事をしていた思い出もそこそこありますが、
改札が来ないんですよね。食堂車の中まで車掌が入ってきて、通路をスルーしても
食堂車内では改札(検札)は、食堂長の許可がないとやりません。
だから下車駅はアナウンスだけで、うっかり聞き逃して
下車駅に停車してカレーライス半分食べてたらもうアウトです。
降りる駅を過ぎる前に停車時刻を計算しないでハンバーグでも注文したら、
残念なことになりました。
@@qsht食堂車を利用するなら始発から終点までですね(^_^;)富士は1978年まで晩朝昼、白鳥は昼晩食事が出来ました!!
「特急」やと軽い感じやけど、「特別急行」やと重みを感じます。
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。
映画撮影当時は、急行が運行上の花形でしたから、
時間も設備もサーヴィスもそれより上をゆくなら、
「"特別急行"(特急)」ということになりますね。
車掌さんが「とくべつきゅうこう」とアナウンスすると
乗るお客も鼻が高く感じるものです。
@@qsht 因みに北海道では今でも「特別急行」と言われているそうですねぇ。
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。
北海道の鉄道は、それだけでなく、ほかにも妙なところでちらほら
鉄道の古典的表現を残しています。お暇なときに探してみてください。
名鉄特急はミューチケット購入しての車両は特別車と言われてます。 シンプルで快適。
パーラーカーが泣ける🥰
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。
この、こだま型では、その後の国鉄の特急や新幹線に求められるであろう、
ノウハウをいろいろ盛り込んでデビゥさせていて、
その多くは時代に応じて改良され実用に引き継がれているのですが、
このパーラーカーだけは、サービスも仕様も引き継がれませんでした。
JRになって、豪華列車が登場したときは、
パーラーカーを飛び越した仕様になってしまいまして、
"幻の等級"などと呼ばれています。
乗ってみたかった車両ですね。
本当に、その様に思えます。
外幌見るの初めて
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。
このこだま型以後、長い間廃止されていた外幌ですが、
連結面に飛び乗ったりするお客が出たり、
高速列車の風抵抗を見直し始めて、
近年また復活した工学プレゼンですね。
国有鉄道女性職員のケツを毎日触れるとか天国みたいな職場ですね。
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。
この映画の平成になって書かれた映評記事に、
「こんなの序の口で、
車販の女の子はお婿さん探しでキツキツワンピースで前かがみで作業する」とゆう、逆セクアピールもあったそうです。
@@qsht 女は女の武器で戦う最高な時代でしたね。当然のベビーブームも納得です。パワハラもすさまじかった時代ですが、反面このくらい緩い方が男女共に楽しいですね。
コック時代のフランキーさんですね(^_^;)後に専務車掌役になる訳で(笑)
いつもご視聴ありがとうございます。
この映画は東宝で、専務さんは松竹なのですが、
出世ということでは各社ともにフランキーさんを大切に役振りしているようで、
シリーズ並べて最後には 紀勢本線太地駅の駅長さんに出世していきます。
フランキー界さんは鉄道物の映画によく出演されてましたよね。喜劇駅前シリーズをテレビで見てました
ホームの台みたいなのがない時代なのね
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。
あの"ホームの台"は、ただしくは何て言うんでしょうかね。
わたしたちも"ホームの台"とか"洗う台"などと呼んでいます。
そうゆうことで、"洗う台"なので、車体を洗うときに使う台なので
洗い終わって出発を待つときには、台の無いところへ列車を入れ替えます。
国鉄特急電車の草分け的存在だった151系、ビジネスから観光まで重宝されましたね。by酒向正也
毎度ご視聴ありがとうございます。
151系のメーカー竣工引渡カタログには、ビジネス移動最速、観光、団体と印刷されています。
草分けになった時は20系
あと、日光行きの東武鉄道1700/1720系けごん、きぬも豪華だったらしい。
令和で151系に匹敵する車両はE261系サフィール踊り子と近鉄ひのとり、日光行きならスペーシアX辺りか。
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。
151系電車で試みられたサービスの内容は、
並べていただいた1720系、E261系サフィール踊り子、近鉄ひのとり、スペーシアX の
曽祖父母に価すると考えていくとわかりやすい系譜かもしれません。
もう、50年以上の隔たりの中にあると、気骨の薫風が残っているだけかもしれませんが、
列車で過ごす楽しさを前の時代に倣って、いまのサービスで観ることができるのだと思います。
いきなりセクハラ全開で笑ったわ
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。
これが、どのへんの時代から、喜劇で通用しなくなったのかわかりません。
151系は戦後復興の高度経済成長の象徴
東京~大阪を6時間30分とスピードアップに貢献したビジネス特急
パーラーカー一等車、二等車(グリーン車)、食堂車、ビュッフェと豪華なラインナップで充実している
東海道新幹線開業後は山陽本線の長距離特急として山陽路を賑わせていた
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。
151系特急型電車を海外に宣伝した国鉄のリーフレットを眺めると、
美しいパーラーカーや1等車内の様子がよくわかります。
特に、英語版とフランス語版では最高速力160km/毎時,と出ていまして、
「動力分散方式の蝶矢」と読み取れる文があり興味深いところです。
こんな雰囲気の良いコミュニケーションが盛んだった時代を、過激的な若者文化によって踏み殺された。
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。
若い人はどんな時代でも旧式で陳腐に映るものを蹂躙していく性質があるものです。
振り返って、後悔するときにもこの映画を再生して観ることはできます。
彼らが気付くのを待つしかありません。
1:51出区時に出発反応標識(レピーター)を確認する?映像には映っていないような…
それはさておき、この角度ではバックミラーだかサイドミラーがはっきり確認できますね。
出区を後追いで映したシーンで、左は80系全金車・右は101系のように見えます。
101系がどうして東チタにいるのか疑問ですが、海水浴か年末年始の臨時列車用に駆り出されたのでしょうか。
あくまでも邪推ですが、映画撮影という事で駆り出されたのかも知れません(一種のプロパガンダ)。ただそうであればなんで153系じゃないのってなりますが。
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。
当時の取扱規程と、指令には
「車町、伊皿子、札ノ辻群線に於ては
レピーター(規程集にはレピートとある)は指差称呼」と書かれています。
これに則って映画時に国鉄の指導があったものです(キネマ旬報記事より)。
札ノ辻群線は、品川客車区なので東京機関区との通知で、
他は田町電車区と品川機関区(DD)の通知です。
台本には、フェンダーミラーと書かれていますが、
これは客車列車が主流だった時代の名残で、
「後部ヨシ」の称呼の便宜装備ですから161系以後に消滅しています。
電車の連結器で外れたら大変ですからね。
(80系は準急東海折り返し整備、
101系は山手線の品川電車区開区以前の出待です。
この前にクモ二13がついてます。)…
このあたりは、当時の月刊雑誌TMS(鉄道模型趣味/機芸出版社刊)に解題が掲載されています。
@@qsht 丁寧に回答いただきありがとうございます。
フェンダーミラーでしたか。ヨーロッパの鉄道車輌では、発車時にホーム確認を運転席横の折り畳みサイドミラーで行い、ホームを抜けると畳むというものを今でも見かけます。もしかすると、ワンマン運転時の側面確認用かもしれません。
品川電車区は移転前は京急と山手線の間にあり、狭かったと聞いています。留置場所が不足して、田町入区もあったのでしょうか。それとも、荷電の運用の関係でしょうか。新しい情報で新しい謎が生まれました。
優美で威厳のある車両ですが、お手洗いは垂れ流し😫
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。
そうですね、この電車がデビューしてからも、
黄害が無くなるまではさらに半世紀近く要していますので
保線さんは大変だったと思います。
特急「こだま」は、この時代を生きている人々には特別なものだったんですね😄特急「こだま」と比べると距離は短いですが今でいうところの特急「サフィール踊り子」クラスに当たるのでしょうか🤔?チャンネル登録させて頂きました😄。
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。
奥行きから観ると、
"サフィール"のなかにも、予約やシート給仕など、
この「こだま」当時の流れを汲んでいるサーヴィスがあるはずです。
どうぞ探してみてください。
私どものチャンネルは8人分掌でやっておりまして、乗り物系担当は2人、
あとは歌とかシナリオなどの動画をRUclipsとFC2を中心にupしております。
この古典シリーズは つべ だけで流しております。
@@qsht さん、了解です😄。
これを見た時に、パーラーカーにつばめガール、はとガールみたいなのが乗っているのか?と思った。
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。
この映画作品の時代には、
国鉄の特急列車に乗務している女の子は、
国鉄直轄部隊でパーラーカー基地(これが、〇〇ガール)と
民間会社の部隊(食堂車とかビュッフェとか車販とか、これも〇〇ガール)の二つの系統が同居してまして、
お客さんから見ると、女の子なので、
どちらも列車名+ガールで呼んでいたようです。
当時の新聞や雑誌の記事には、ほかにも「富士ガール」とか
急行なのに「オリンピアガール」、
一部の鉄道雑誌には「モハシガール」「クロガール」
なんていう記述も残っています。
当時の東海道本線で人気を博した151系ビジネス特急こだまはパーラーカーや食堂車などの豪華設備を誇り、やがて0系新幹線に繋がったことでしょう。by酒向正也
毎度ご視聴いただきましてありがとうございます。
151系電車が東海道新幹線の実験列車の役割を担っていたことは
各方面で述べられている通りですが、
先行する米独仏伊の特急サーヴィスを日本用にアレンジしたものと言われます。
@@qsht そんな中、東海道本線の高速試験には何と関東の小田急電鉄から3000形SE車を貸し出して運用されましたね。by酒向正也
いつもご視聴ありがとうございます。
その後何十年か経過して、今度はLSEも国鉄へ入ってますね。
こだまの時はパーラーカーありもせんに。
つばめが電車化されて展望車がないからパーラーカーになった。
“Oh no, this is the wrong train!” 😂
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。
本編を観てますと
この外人さんたち、間違ってるって言われてるのに、この列車に大阪終点まで乗っちゃうんですよね。
食堂車や客室のスタッフ、カレチなどは実際に、こういう乗り方をしてたのでしょうか?
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。
東京の品川駅と高輪ゲートウェイ駅の間辺りに在った、
電車基地の田町電車区というところでロケが行われていますが、
車両の車体を手洗いで洗うところには線路間に狭い通路がありましたが、
出発群線は、田町に限らずほんとうにどこもこんな感じです。
乗務員はふつう、基地の地平から乗り込みます。
土砂降りの雨の夜の乗り込みは、女の子たちには辛かったようです。
おお、なるほど❥現在の東京車両センター田町駅地区ですね❦
今お尻触ったらセクハラだもんなぁ。
この映画、ひょっとして、はっしゃー、オーライ、明るく明るく♪の映画ですか?
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。
んー、やや異なりますが、これもドタバタなので内容には大差ありません。
特急にっぽんですね!!
1号車がパーラーカーで1等車
1等車だとグリーン車扱いになる
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。
これはよく誤認識されることでもあります。
後年になって、国鉄の等級制の編成を振り返るとき、
4310(よんさんとう)をよく理解していないと、分からなくなる時があります。
正確に申しますと、称号になお"イ"が残っている状態でこだまが運転されていますから、
1等車(イ)≠グリーン車(ロ)、
1等車=該当なし
2等車(ロ)=グリーン車(ロ)
3等車(ハ)=普通車(ハ)
ということになる(中央書院「通知指定券」)のですが、
グリーン車に1等表記がされていた時代があり、
新幹線ではあるものの、北へ行く新幹線のグランクラスは何に相当するか?
など、36(さんろく)と43(よんさん)の期間で
等級に特例が多くあったからと述べられています(鉄道ジャーナル誌)。
1等パーラーカーコンパートには、
グリーン券(ロ券)だけでは忽ちに弾かれて乗れなかったのはそのためです。
なぜ複式長券(硬券)を途中発駅に通知して返信を切って捌いたのかは、
記事に詳述されています。
こんなDVD(特急にっぽん)が出てるとは知らなかった。森川信とフランキーと白川由美と横山道代はわかった、車掌は石田茂樹だな。それにしても東宝、151系ボンネットが好きだな。「宇宙大戦争」「天国と地獄」「フランケンシュタイン対地底怪獣」(だったかな?)などに登場の他、「キングコング対ゴジラ」では、わざわざ赤線入れた161系の模型が登場。「特急こだま」、わずか6年の寿命だったとはね。
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。
鉄道モノだけとか、乗り物系だけで、昭和のころの劇場公開作品をさがしていきますと、
たとえばヤクザ映画とかお笑い映画の中にも、「あら♥!」と思えるような
珍しい車輛や乗り物が映り込んでいる場面が含まれていることが多くあります。
タイトルに関係なく、どうぞお探しになってみてください。
すみません。森川さんはどの役ですか?もしかしてウェイトレスさんを電車に上げてくれた方ですか?
いつもご視聴ありがとうございます。
森川さん(森川信さん)は、おっしゃる通り、
ウェイトレスさんを電車に上げている方です。
映画ファンの間では’’ノブ’’と呼ばれて親しまれていましたが、
夭折されています。
男はつらいよ,で、とらやの初代ご主人を演じていた方です。🐝
@@qsht2397 さま
お忙しい中、ご丁寧なお返事を大変有り難うございます。(_ _)
奥様は18歳のいいですか?いいですね?の校長先生ですね。(^-^)
あまり若くて映画ではわかりませんでした。校長先生とは違う雰囲気ですね。でも声や顔に面影が有ります。とらやの主人もそうだとは、わかりませんでした。
古き良き日本国有鉄道
昭和は遠くなりけり
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。
人が列車を盛り立てる時代, だと当時の新聞がこの映画を評しています。
改札口も乗務も、鉄道員がお客さんの正面に出ていましたね。
今だったら間違いなく懲戒免職で、ワイドショーのニュース「国鉄職員、毎日こだまガールにみだらな行為!」は一週間以上続き、5ちゃんは一晩でpart100まで往きそう。
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。
この作品には、この前後のお話には、
これらの場面以上の破廉恥シーンが続きますけど、楽しい内容です。
やるほうもやられるほうも、笑って流していた時代、
おっしゃるように、少なくてもわが国では、いまでは到底通用しないですね。
特急こだまも4打点チャイムだったの?!
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。
これは、結果から遡りますと、逆でございまして、
当時のこだま号は東海道新幹線の開業を前に、
とりわけサービス内容の実験場としての役割もありました。
このこだま号で、4打点チャイムを実験して内外好評を得たことから、
新幹線0系こだま・ひかりで採用された
とするのが経緯と言われています(雑誌"電気車の科学"記事より)。
結果、在来線はおなじみのオルゴールを使い分け、
新幹線が打点式という時代が長く続いたわけです。
不思議なもんですね。
@@qshtそんな経緯があったなんて初めて知りました…!
特急=オルゴールが染み付いてるのでなんともいえぬ違和感がありますね。
ご丁寧に教えてくださりありがとうございます。
@@anesi198最近まで聴けた電車式オルゴールの鉄道唱歌は1964年の新幹線開業時から採用され始めましたが、私の考えですとにキハ81はつかりからだと思われます
昔くろしおに乗った時、ホームから飛び出して止まってたのでこうやってお尻押してもらってました。
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。
昭和の頃は、全国あちこちで同じような例がありましたね。
列車というのはたいてい、前ではなくて後方が はみ出すようです。
降りる時が大変で、ご婦人方は後ろ向きでヨタヨタ降りてました。
乗るときはおっしゃるように、飛び出すのがわかっている列車に備えて
階段とも梯子ともつかないような踏み台が
あらかじめ備えられていたりして、
お客さん自らが、
「(お尻を)押してください」と頼んでいる場面も多々ありました。
映画だから脚色やええかっこしいな面もあって実態とは違う部分も多かろうが全盛期の151系の雄姿が見られるだけでも貴重な映画。DVDかBDあるなら手に入れたい(^^)/
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。
この動画は30年ほど前の深夜劇場のTVを
録画したものなので画質や色調がとても劣っています。
もっと美しい本編はモノクロ作品ですが、
レンタルとかセルでディスク化されていますから、
どうぞご覧になってみてください。
車間全周幌の時代ですか
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。
数年後に開通する東海道新幹線の実験的役割をしたのが、
この151系でしたから、
いまのように連結面に飛び乗るお客を防ぐのではなく、
風の抵抗を減らす技術的な試みでした。
連結された食堂車に於けるウェイトレスは美人桜と呼ばれるほど人気を博しましたね。by酒向正也
毎度ご視聴いただきましてありがとうございます。
女の子の乗務員は制服が花で、お顔はもちろんですが、
ユニフォームにも人気があったと言われています。
乗務員は、ホームから社内に、乗るんじゃないんだ!
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。
最近はホーム合流がメジャーになったようですが、昭和の頃までは、とくに都市部出区の回送始発の場合、
旅客ホームに付ける前の業務を回送中にまとめる必要から、走行時間を活用していたようです。
札運、品川、尾久、向日町あたりは、地平乗りをしていました。
運転士だけど今の方がいいよ…
二人乗務とか嫌すぎるw
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。
近距離の通勤電車と長距離の特急では乗務員の拘束時間も異なりますが、
地下鉄の二人乗務とか、北海道の厳冬期の夜間降雪時の一人乗務とか、
どの場面でもコモンとは言い切れないものがありますね。
暴風雪時に助役さんが添乗するとか、
そのくらいの二人なら人によっては安心するのかもしれませんが、
常時二人というのも考えものです。
だから合理化で真っ先にターゲットになったわけですね。